仏閣・仏像そのー2(中尊寺)

Last Updated on 2019年3月13日

   第30回

こんにちはジュエリーニシオカのにしおかまさるです

今回もひき続き中尊寺にふれてまいりたいと思います。

2005年8月29日に修学旅行以来の中尊寺、実はその翌年2006年8月17日に再度中尊寺を訪れております。今一度金色堂を見たいと思う気持ちが一年後に足を運ばせたのです。

850年慈覚大師(円仁)さんが開創され、その後、清和天皇より中尊寺の号を賜り1105年に藤原清衡が中尊寺の建立に着手しております。1108という説もあります。自身の廟堂として建立1124年上棟いたしました。

その4年後1128年に藤原清衡永眠いたします。藤原清衡永眠後自身で建立した中尊寺金色堂の中央にミイラ状態で安置されましたので、現代医学で死因は脳出・血液型(AB型)と判明しております。

奥州藤原四代は100年続き1100年代は平泉は日本一の都市として栄華をきわめておりました。藤原四代で100年改めて考えますとすごいことであり、何故なら徳川15代で300年といわれ単純に比較はできませんが、両家とも ただただすごいのひと言です。

東北地方、関西地方、多くの阿弥陀如来像を見てまいりました、しかし同じお顔は存在せず、ただ私が感じましたことは、どのお顔も皆お優しく、慈悲のお顔をお持ちになられいる事は間違いありません。

阿弥陀如来さまをはじめ、日本には多くの仏像が仏閣にお祀りされております。なかでも阿弥陀如来さまはとても多くお見受けいたします。

中尊寺にお聞きいたしましたところでは、17の寺院が集まり中尊寺ということです。

私が一番知りたかった中尊寺内における(仏さま)は国宝指定36体、重要文化財14体、それ以外17の寺院で60体以上の(仏さま)が祀られていると伺いました。

中央須弥壇阿弥陀如来初代藤原清衡、向って左の須弥壇には基衡、向って右の須弥壇には秀衡、脇侍には観音菩薩、勢至菩薩、さらに左右三体ずつの計六体に六地蔵、さらに前衛には四天王の二体が安置され一つは持国天(東をお守りいたします)あと一体は増長天(南をお守りいたします)、四代泰衡が源義経をかくまった罪により源頼朝に攻められ義経を、自害させその首は頼朝に、その果てに家臣の裏切りにより30半ばで自害いたします。

四代目藤原泰衡は自害のあとに、首桶に入れられ首だけが戻り金色堂に眠っております。

源頼朝は最初から、源義経の首ではなく奥州平泉が欲しかったとも言われております。ある文献によりますと藤原泰衡は奥州四代目の器はではなかつたと記されてもおります。

この続きは次回で書いてみたいと思います

さいごまでおよみいただきましてありがとうございました。

にしおかまさる