弘法大師と東寺ー5

第73回

こんにちはジュエリーニシオカのにしおかまさるです

空海の父親は今で言います地方の役人で、幼名真魚と言い今でいう大学に入りその大学も一年足らずで止めて出家いたします。

当然周りからもう反対に合いそれを押し切り出家いたします。その理由を空海の著書(三教指帰:さんごうしいき)では

【名誉を競い合う事は何になろう、利益を求めて何になろう、多くの貧困の人と会うと胸が痛む、なによりも多くの方が私に出家を進める、できることならばこの人たちを救う事は出来ないだろうかと思い悩み】出家の道を選んだのではないでしょうか?

この本はあまり難しくて私には到底理解ができません。

人生とは全く先が見えません、だから人生という方がおります。

世界の偉人(天才であることは間違いありません)弘法大師空海は、最澄(天台宗)と一緒に遣唐使として唐に渡りますが、すでに最澄は僧として認められておりますしかし空海は無名の僧であり、この時期には歴然とした差があったと思います

空海履歴書    本名 佐伯真魚  774年6月15日誕生(1245年前誕生)   法名(教海ー如空ー空海) 宗派(真言宗)  法号(遍照金剛すなわち大日如来) 尊称(弘法大師・空海上人)

寺院(高野山金剛峯寺・東寺・四国の善通寺)など多くの寺院がります。  835年4月22日入定   御廟には今も弘法大師さまが生きていらっしゃると言われております。

804年 (30歳)遣唐使として中国に渡ります  青龍寺  恵果和尚に密教の全てをわずか二年で学び帰国いたします。

空海は帰国後功績を認められて嵯峨天皇より高野山を賜り、そこに金剛峯寺を建てられ密教の地として真言宗を広めていきます。

空海と最澄の違いは何と言っても天台宗と密教の違いであり、帰国後お二人とも行き来はあったようであり最澄のお弟子さんも空海の下に密教の修行に行っておりました。

最澄は中国では密教に関しましてはあまり時間もなく会得ができなかったのでしょう。

最澄は空海に密教の教えをいただきますが、空海としては 最澄といえど一人のお弟子さんです。

この辺りから関係が微妙になったと言われております。最澄の弟子の一人が空海の下で密教を学ぶことも一因でしょう。

さいごまでおよみいただきましてありがとうございました

にしおか まさる 

 

 

 

 

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