北海道&熊本
第82回
こんにちはジュエリーニシオカのにしおかまさるです
熊本での小学校までは20分くらいの距離ですので結構近く感じ、帰りは従弟と必ず一緒に帰り、自宅から30m位のいとこの家によりケンカ駒を習い、その周りに自分なりの細工をして駒の重心を重く駒同士がぶつかり合っても弾き飛ばされないように作ります。
この遊びは今までにない経験で学校から帰ると毎日のようにしておりました。
この駒は北海道に持ち帰り近所の友達がうらやましがり駒のケンカをしても負けることはありません。
ケンカ駒と普通の駒では最初から勝負はついており、駒の周りには鉛で細工しております。(非法な事ですね)
この当時熊本には雪が降ることなくこれも又うれしく、今このブログを書いていて、熊本にはトンボ、バッタなどいたのかなと思うくらい記憶にありません。
嫌いな蛇は見かけました。
熊本での遊びで幅3mくらいの小川が流れその周りには北海道では見たことのない直径8cm位のちんちゅく竹(これが正しい呼び名かは分かりません)この竹が珍しく帰る時には必ず持ち帰ろうと10本えりすぐり用意しておりましたのですが、北海道に帰ってから忘れたのに気が付きました。
北海道では、夏でも当時は朝晩寒くストーブが必ず付いておりました。真夏でも26℃ですから。夏の終わりには必ず七輪がありこの七輪を使い、お湯はもちろんのこと煮炊きもしておりました。
この七輪を興す手伝いもその興し方は新聞を燃やし薪に火が付いたならコークスを入れると終了でこの手伝いはよくしました。
当時、北海道では一年中ストーブの火を消す事はなく夜中は火を止めます。
火を止めると言う意味が分からない方が多いと思いますが、夜寝る時には朝すぐに火が付くように、火種に石炭を入れこの石炭が燃えないように一晩寝かせこの状態を火を止めると言います。
冷蔵庫も必要なく冬は窓の外が冷蔵庫替わりです。
この方法は当時の北海道全てかは分かりませんが、普通の家庭です。テレビ・冷蔵庫・洗濯機・のない時代です。
いま思いだしても,その当時はそれが当たり前の生活です。別に我が家だけが変わっていたわけでも有りません。
今振り返っただけでも楽しい毎日でした。
さいごまでおよみいただきましてありがとうございました
にしおか まさる