心のままに

Last Updated on 2020年2月22日

第169回

こんにちはジュエリーニシオカのにしおかまさるです。

 

心のままとは

人生の善し悪しは【心にコントロール】されています。

 

【因果応報】という言葉は仏教の教えを表す言葉であり

【因果】とは【原因】と【結果】で有り、どんな結果にも必ず原因があります。

 

解かりやすく言いますと

善い行いには善い結果

悪しき行いには悪しき結果

この様な形で必ず忘れた頃に(時間差をかけ)やってきます。

 

【業】日々の行いや思念で発生し消すことが困難であり後々まで付いて回ります。

 

【因果応報】を考えますと全て自分が原因を作ったその結果が今の自分で有り、

今、現在結果が出ていなくとも必ず時間差で自分に戻ります。

 

またその報いが【業】となり、その【業】は後世までに及びます。

 

お釈迦さまは、

人間に生まれることは非常に珍しく、人間として生またことが当たり前と思っていたことが当たり前ではなくなることを【有ること難し】言うそうです。

 

 

そこから【ありがたい】という言葉が

 

 

また、お釈迦さまは

人身受け難し(にんじんうけがたし)、今すでに受く(数ある命の中で人間に生まれた、これは非常に珍しい)という意味です。

 

 

自身で命を絶つこと・人を殺めたりしては絶対にいけない行為であり

全て自分の行いには『心』がはたらきます

 

命あるもので人間だけが善悪を考えることができ、

行動起こす前に、その考えは善きことか&悪しきことか!

 

人間は幸せになる権利をもって生まれ、その権利を生かすも失うも自身の心です。

 

鎌倉時代の名僧『明恵』上人のお言葉に

 

『阿留辺幾夜宇和(あるべきようわ)』という言葉がありその意味は、わたし流で要約しますと

政治家は政治家らしく・先生は先生らしく・大人は大人らしく・子供は子供らしく・

 

もっと平たく言いますとあるがままに生きる』という意味と私はとらえました。

 

『あるがままに正直に生きる』ことができるのは人間だけです


 

【因果応報】は必ずわが身にブーメランのごとく戻り、また【業】につながります。

 

新年あけてから、なおいっそう人としていかに善き心をもって正しく生きるか

改めて、いかに世のため人のために生きていくかを考えさせられた数日でありました。

 

さいごまでおよみいただきましてありがとうございました。

にしおかまさる

 

 

 

 

 

 

 

 

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