智慧と煩悩で見る眼よって未来は大きく違います。

Last Updated on 2023年2月14日

第473回

いつもお読みいただきましてありがとうございます。

 

昨年の年末頃でしょうか、どこのお寺かは覚えておりませが「因果の法則」に目が留まりました。

 

その内容は全て記憶しているわけではありませんがとても心惹かれることが。

 

「因」を作り「果」が生じるると。

 

必ず「因は縁によって果」は生じます。

 

因果応報(こちら)は仏教の真髄であります。

 

いつも自分の蒔いた「因」により今の「果」に苦しんでいます。

いつ生じるか、いつ納まるか分からない自分の蒔いた種。

 

毎日が「有漏の穢心」(うろのえしん)であり、このお寺のブログ「因果」に目が留まつたと思います。

 

仏教では

「有漏」とは「煩悩」のこと

「穢心」とは「穢れた身体」と言います。

 

 

「因果応報」ついて実に明確に書かれておりさすが僧侶が書くブログと思いました。

 

どこで見たのか思い出すことができず私の記憶の範囲で書いてみたいと思います。

 

「因果」についてこのように書いておりました。

 

いつも心に不安があると、明日も心が不安になります。

 

これは、現在の不安な気持ちを「因と言っております」

明日の心配は「果と表現」しております。

 

いつも心配事は「果」として心の中ばかりでなく脳内を駆け巡り映像のように投影されると。

 

此処からは、その時自分が理解できるまで繰り返し読んで感じた言葉で書いて見ます。

 

心配事は、過去の「因」によって生じ

明日の心配事「果」となって苦しみとして投影されております。

 

これらはすべて形のあるものではなく、過去の「因」が「果」となり自分の作った陰におびえているだけであると。

全て「煩悩」という目に見えない陰に苦しめられているとなります。

 

いま煩悩で見ているのであれば未来は六道が投影

 

現在に「智慧があればお浄土」となる。

 

分かりやすく言いますと、

【「煩悩で見る未来は六道の未来」「悟り・智慧」が見るものはお浄土の未来】。

 

亡くなった母に何度も「ちえ」を使いなさいとよく言われたものです。

そのころの「ちえ」はこちらの「知恵」かと思いました、母は無くなり問うことも出来ません。

 

最近は「智慧」を指していたのだと思います。

何故なら母はよく私に仏教用語を使っておりました。

 

三帰依文(さんきえもん)より

母はよく「智慧海」になりなさいとよく中学校からいわれておりました。

中学生に分りますか?

知恵は聞いたことはありますが智慧海とは初耳でした。

 

私に「智慧」を使えと言ってもこちらの「知恵」さえあまり使わないのですから。

 

知恵とは、

頭の良さや、判断力のような意味で、知恵がついたね、知恵が働くと言い、今で言うならアイデアがすぐれているとでもいうのでしょうか。

 

では智慧とは? 

仏教の意味では先を見通す力など、それをはるかに超えた力があり、目先の利益ではなく真実とは、幸せとは何だろう。

物事の真偽、善悪を見抜くこと。

 

慈悲とは?

他の生命に楽を与え、苦を取り除くこと。

よく子供さんのしつけなどで慈悲が使われています。

 

例えば

 

悪いことに叱り、そしてそれがいけないことなんだとしっかりと教え、子供とのスキンシップをすることで子供が何故叱られたのかを知り安心感を与える。

慈悲とは言葉でも出来る大きな功徳でもあります。

今日は「因果」について書いて見ました。

自分だけではない、誰もが持つ「因果応報、自因自我」すべての人は煩悩の塊です。

 

自分だけでない「有漏の穢心」周りも同じ「煩悩の塊」です。

 

因果によって自分の人生は左右されていると思ってよいのかも知れません。

「過去・現在・未来」三世にまで及ぶと言われる悪業は全て自が作りだした煩悩からです。

 

人間はこのことに気づくことで悪業から善の行いをしようといたします。

この心にならなければ悪業を繰り返し先は六道の一番避けたいところに行くことになるかも。

 

自分の人生を顧みて善悪を比較して下さい、多くの方は善より悪業が多いと言われます。

 

それ故、「慚愧懴悔六根清浄」を日に一度くらい唱えて下さいと。

 

これもお釈迦様の教えです。

 

私を嫌う生命が幸せでありますように。

 

他の人より「金、プラチナ、ダイヤモンド」にチョット長く携わっている普通の人間です」。

 

今日も長くなりごめんなさい。

 

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    にしおかまさる