なんの為に自分は生まれ何故生きているのか。

Last Updated on 2022年11月25日

第461回

いつもお読みいただきましてありがとうございます。

お読みくださり理解された方は自分の人生を必ず変えます。

 

朝起きて一日が始まる。

老若男女問わずどなたにも当てはまることであります。

息をして吐いていることで自分は生かされている、今日一日一生けん命生き抜こうと思います。

 

「人はなんのために輪廻転生を繰り返し生きているのだろうか」?

 

必ず一度くらいは「生きる意味」を考えると思います。

 

親鸞聖人は、生きる目的が分からない人生を「生死の苦海」「何度海」と例えました。

360度と空と海しか見えない海で、苦しみの波と戦って泳いでいるのが私たちの姿と。

 

もっと分かりやすく例えます、

私たちの人生は、先が全くよめない不安な人生「諸行無常」の中にいるのです。

 

今日すごく幸せ、でも明日はいきなり不幸に、昨日迄の幸せは?

人生良い時もあれば悪い時もある、これを「何度海」に例えております。

 

大海原で自分が乗った船が沈没したなら何かにしがみ付き必死に生きようと、板切れ、丸太、沈没しかかっている船の一部にも。

どんなものでも良い、助かる可能性のあるものにしがみつくことは人間の本性です。

 

私たちは誕生と同時に「大海原」に放りだされたようなものです。

赤ちゃんが母の母乳を吸うのは一生懸命生きようとしている姿。

この赤ちゃんもすでに「人生の波」と戦い生きようとしております。

 

赤ちゃんから始まり、赤ちゃんは成長し親から離れるまで一生けん命人生の波と戦い、その間には、学校の問題段階を得て難易度の高い戦いに挑みます。

 

しかし上手に泳げず、どのように生きるか考えなければこの大海原を渡れません。

若いころは上手に泳いでも、年齢を重ねるうちに病にかかりそれと戦わなければなりません。

 

どこに向って自分は泳いでいるかを見定める必用があります。

 

年齢を重ねることで自分はどこを向いているのだろうかと疑問にさえ思います。

 

大海原を創造して下さい。

船の甲板から大海原を見渡しますと周りどこを見ても水平線であり、人生はこれと同じ水平線で先が見えない幸せなのです。

 

極端に言いますと、水平線の先が真っ逆さまに落ちる滝であったならどんな船も真っ逆さまに落ちていきます。

 

私たちには羅針盤もなく、迷って勘で進んでも一切あてにならず常に不安が消えないのが人の一生なのです。

 

「歎異抄」で親鸞聖人は先の見えない、いつ壊れるか分からない人間の幸せ、明日は分からないので「絶対の幸せ」になって下さいとおっしゃっております。

 

先日投稿しました「後生の一大事」(こちら)

 

「生死の苦海」を渡りきることなのです。

 

『親鸞聖人ほど生きる目的があることを鮮明にされた方はない』

 

生きる意味は、「絶対の幸せ」になり仏になりなさいと。

 

人はこの身(仏)になるために生まれて来ているのであって、早く気がつき「弥陀の願船」に乗り、崩れることのない「絶対の幸福」になって下さい。

阿弥陀仏が、南無阿弥陀仏という仏になり、私たち衆生を必ず救って下さいます。

 

このことは「弥陀の誓願18条」に。

「お釈迦さまも、親鸞聖人」も生涯この「弥陀の誓願18条」を説いて回り衆生を救っております。

 

【美輪明宏さんが人生にはいいことも悪いこともあり、順風満帆の人生はありません

 

またこのこのようにもおっしゃっており「正負の法則」・「宇宙の法則」ともいえると。

つまり、「プラスとマイナスの法則」があると。

 

ニコニコすることはいわば運を引き寄せる行為で、自分をパワースポット化する行為だと。

「自分は負の先払いをしている」との思考や発想の転換ができるかで心にゆとりができますとおっしゃっております。

 

 

 

阿弥陀仏はどんな悪人をも必ず救うとお約束され「名号 南無阿弥陀仏」という仏になっておられます。

宗派などに一切関係なく全ての人を「阿弥陀仏の願力」「他力本願」によって必ずお救いするとお約束されております。

 

「他力本願」(こちらに書かれております)は誤解されることが多く「他力本願」今一度ご理解下さい。

 

仏教では、人生を「生死の苦海」と言い「荒海に絶えない海」に例えております。

荒海に放り出され、いくら泳いでも泳いでも海の景色は変わることなく、そのうち疲れ果て泳ぐ気力さえ失いそのうちに自分の人生のおしまいが見えてきます。

 

「自分は何のために生まれてきたのだろうか」

「なぜこんなに苦しくとも生きなければならないのか」

大海原で死を待つような者で、死はどこにいても絶えずあります。

 

死とはただ一人、孤独の中に独り死んでいく。

これが人間の終末なのです。

陸地も救助の船もなし、しかしあきらめなくても大丈夫。

親鸞聖人『教行信証』に、

「難度海を度する大船あり」
苦しみ悩みの人生を明るく楽しく渡す大きな船がある

難度海を渡るには小さな小舟では沈没してしまい、どんな雨、風が吹いても大丈夫な大船があります、この船に乗ることで死後の苦しみがなくなりそれには生きている平生にこの船に乗ることで「生きていてよかった」「この為に生まれてきたんだと」言う歓喜でいっぱいになると。

 

歎異抄「弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて往生をば遂ぐなり」とあり、この不思議こそが難度海を度する大船なのです。

 

他の人より「金、プラチナ、ダイヤモンド」にチョット長く携わっている普通の人間です。

ジュエリー・ニシオカ  

    にしおかまさる

生きとし生けるものすべてが幸せでありますように!