一切法(因縁生)を知ることで慚愧懺悔六根清浄が必要です
第483回
いつもお読みいただきましてありがとうございます。
仏教には因果応報と言う教えがあります。
「因縁果の道理」とも言われており
この教えがなければ外道ともいわれております。
自分はこんなに努力をしていても報われない、長い苦しみの人生が続いている。
どんなに悔やんでも自分が蒔いた種ですから簡単には抜け出せません。
自分が蒔いたです。
自分の前世を知りたければ今の自分を見なさいと言われております。
仏教の教に
一切法(万物)は因縁生なり
因(直接的原因)と縁(間接的要因)の和合にて結果が現れる。
モミ種がなければお米は絶対に取れないように、因(モミ種)がなければお米は絶対に生じない。
しかし、因(モミ種)だけではお米はとれません。
何故ならお米になるには、日の光、お水、土すべてがそろって初めて(因)の種が(果)となる働きをすることを(縁)と言います。
良い種を一生懸命に蒔いているのに思うような結果がでないのはそれはまだ(縁)がきていないからです。
すべて(因縁果)が和合して生じた結果
一切法とは(万物)は因縁生なりと言うのです。
どんな種をまいても必ず来世には100%我が身に蒔いた種は振り返ってきます。
良い種を蒔いても結果がでない時には、それでもこうして生かさせて頂いていると感謝しいっも自分は幸せだと思うことです。
日々身の周りにどれだけの幸せがあるかお考え下さい。
贅沢は出来なくても衣食住があり、健康で働くことができる。
家族があり一人ではない。
そう考えると自分の周りには幸せが一杯あるんです。
その小さな幸せにいつも感謝をすることを忘れないこと。
愚痴は言わない。
うらやましがらない。
人と比較しない。
いっも自分は幸せだと思うことです、自分は不幸だとかついてないと思うと自分が歩んだ人生の足跡には不幸と言う足跡が残ります。
いつも自分は幸せと過ごしますと、自分の足跡には幸せと言う足跡が残ります。
どんな小さな幸せにも「アー」本当に幸せ者と口に出して下さい。
例え一杯のお水を飲んだ後、「美味しい 幸せと」口に出すのです。
自分の周りにはたくさんの小さな幸せがあるのです。
大空の下でたくさん空気を吸って下さい。
大空の下で新鮮な空気をめいっぱい吸うことは健康だから出来ることで寝たきりでは叶いません。
私もひと月ほど前に6日間肺癌で入院しこれも自分の人生に必要と思うと自然と感謝出来ます。
自分の身の周りで起きていることはあたり前なんてありません。
私たちに必要だから起きるのです。
まして偶然など絶対にありません。
一見偶然に見えますが必然を偶然だと勘違いいたします。
因縁果(因果の法則)(宇宙の法則)とも、自分の(因)から始まり縁と結ばれ結果は必ず生じる、その結果におののく自分が解る人は懺悔をするようになります。
懺悔をすることで悪いことはしなくなり、これが心もつ人です。
悪いと思ったならば心を鎮め懺悔することです
自分の造った罪や悪を深く受け止め二度としないことですが、阿弥陀様は人間は過ちを繰り返すと言われてます。
いつも偉そうに書いておりますが、私も今たくさんの悩み苦しみがあり、長い苦しみは(忍辱)で忍びます。
忍辱(にんにく)とは。
侮辱や苦しみに耐え忍び、心を動かさないこと。
「慚愧懺悔六根清浄」(こちら)が私のブログで一番読まれております。
次回は「慚愧懺悔六根清浄」をする人しない人の違いを書いて見ます。
自分の人生にお役に立てて下さればと思います。
天はいつも見てござる。
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ジュエリー・ニシオカ 西岡優