昔の私・プロレスフアン&長嶋茂雄大フアン
第27回
こんにちはジュエリーニシオカのにしおかまさるです
先日の、ブログ第20回でNYでマディソンスクエアガーデン(MSG)に行く事が出来なかったと最後の方に記しました。
プロレスフアンとして、プロレスの本場とも言われるNY(MSG)行きたかったのですが、NYでの最高の楽しみにしていたスポーツ観戦(プロレス)自身の都合で観戦はできませんでした。
例え(MSG)に行ったとしても、当日プロレスは興行は行っていたかさえ調べておりませんでした。計画性のない旅人と言われそうです!
私は、当時プロレス大好き人間で、東京では、旧蔵前国技館・日本武道館・東京ドーム等仕事帰りに友達とよく観戦に行きました。
プロレスを嫌う人からは、八百長試合・出来レース、お金を出して見に行く神経が分からないと色々と言われました。自分が熱中できるスポーツ観戦はだれが何と言おうと我が道を行くでした。
プロレスの観戦は人格を変え、外国人の反則攻撃には怒りが頂点に達し、自分がどのような言葉を使って応援していたか、いま創造するだけでゾッとします。似たようなフアンが館内にはたくさんおります。
ショーとして観戦するにはプロレスは過激であり、館内のプロレスフアンと一体になれる自分がこれまた恐ろしいです。
1976年6月26日、日本武道館・アントニオ猪木対モハメドアリ戦、チケットを2枚購入しており義父と行く予定でしたが、この試合は観戦に行く事が出来ず義弟にチケットをあげることになりました。
この試合も当時茶番だとか色々いわれました。
ファンというのはこのようなことを、耳にしたり聞いたりいたしますと、じゃお前がやってみろできないだろうと我が胸の中でつぶやくのです。つまりこのように思う事で自分の溜飲を下げるのです。
全てのプロレスフアンがこうだと言っているわけではありません。でも大方のフアン心理は同じではないでしょうか?
1976年2月6日、日本武道館・アントニオ猪木対ウィリアム・ルスカ戦 1976年12月9日、蔵前国技館 再戦 1977年8月2日、日本武道館・アントニオ猪木対ザ・モンスターマン戦
他にも、多くの試合を見に行きましたが勝利はいつもアントニオ猪木でした。
最後に1983年6月2日、蔵前国技館IWGP決勝 アントニオ猪木対ハルクホーガン戦 この一戦はアントニオ猪木がアックスボンバーという首への一発攻撃で撃沈致しました。
プロレス同様、大の長嶋茂雄 巨人フアンでもありました。
長嶋監督が1980年巨人を追われた日から巨人フアンもやめ、読売新聞もお断わりいたしました。その後1992年再度監督になられた時は又フアンに戻り、2001年に勇退された時には巨人フアンもやめました。
私は、自称長嶋茂雄の大フアン、1980年に長嶋監督は巨人を追われ辞任、長嶋フアンと公言していた署名な方々が、そのまま巨人フアンを通したことにこの程度のフアンかと、全く理解できず口先だけかと当時腹を立てたものでした。
今ではプロレス、野球フアンであったことは、遠い昔事 今は全く見なくなりました。
最後までお読み頂きましてありがとうございました。
にしおかまさる