仏閣、仏像・そのー1(中尊寺)

Last Updated on 2019年3月13日

第29回

こんにちはジュエリーニシオカのにしおかまさるです

前回のブログで、ウグイスの題材で山形県立石寺(山寺)でウグイスの鳴き声を聴いたことを思い出したのがきっかけで何回かに分けて、私が訪れた東北地方の寺院、仏像を書いてみたいと思います。

今回は、私が一番最初に訪れた寺院は中学3年生の修学旅行、北海道から岩手県、宮城県まで5泊6日の旅行でした。今のように新幹線もなく、函館から青森までは青函連絡船で本州に渡りました。その時代は青森から西は本州と呼んでおり今考えますと北海道は疎開された地域のようです。岩手県平泉町中尊寺、宮城県仙台市瑞巌寺と回りました。松島が目的であり瑞巌寺は近くなのでいかれたようです。

私は、中学1年から3年までの3年間担任教師は同じ先生にご指導を受け、卒業後も現在に至るまでいろいろなことをお教え頂いております。お会いしたり、お電話したりすることがとても楽しみでもあります。クラス会に出向くときには自宅に泊めて頂き、家族のお付き合いをさせていただいております。13歳でお世話になり半世紀以上のお付き合いになります。

本文を中尊寺に戻します。

当時私は寺院に全く興味もなく、 【これが中尊寺】  ウ~ン・ソッカーと感じたくらいかも!

ただ覚えていることは、大きな一本杉の大木を何人かで手を回して太さをはかった記憶は鮮明に覚えております。中学時代の中尊寺の思い出は一本杉だけです。

【中尊寺金色堂】2005年8月29日に修学旅行以来尋ねました。歳を重ねたせいか、中尊寺の見方も変わり参道の端には杉の大木が修学旅行を思いだしながらゆっくりと登り、帰り道は月見坂、山頂には金色堂が、1968年5月1日に7年に及ぶ昭和の大改装が完成しお披露の日時だそうです。『金箔3万枚使用したと言われますが、ここではお金に換算せず、又何キロ使用したとも考えず、金色堂を訪れその金色堂の仏像を目にしたなら、そのようなことはどうでもよくなり、知らない方が夢があります』

大改装から50年です。

中尊寺金色堂は,京都府宇治市の平等院鳳凰堂』と並んで平安時代の最高に位置する日本の文化遺産です。

中学の旅行金色堂の思い出が薄いのは 黄金の色ではなかったとか?

850年 円仁(慈覚大師)中尊寺を開創したのが始まりといわれ、その10年後山形県(立石寺・山寺)860年に円仁(慈覚大師)さんにより開創され、円仁さんはさかのぼる事828年には松島(瑞巌寺)も開創されております。

その後中尊寺は、1124年に藤原清衡によつて自身の廟堂として建立されております。この様な寺院を建てるということは、財力が豊富であったということです。

この続きは又明日にお届けいたします

さいごまでおよみいただきましてありがとううございました。

  にしおか まさる