仏閣・仏像そのー9(立石寺)山寺-1
第37回
こんにちはジュエリーニシオカのにしおかまさるです
立石寺(山寺)を書く前に、明治政府は1868年神仏分離令を出しそれによって寺院に対する破壊行為,藩による寺領没収で寺院は大打撃をこうむり多くの仏像も破棄されたりも致しました。神仏分離令とは仏像を破壊しなさいという事ではなく、簡単に言いますと、神社には神社色の置物、寺院には寺院色の置物というように切り離しなさいという事だろうと思います。
これで一番被害にあったと言われるのが奈良興福寺で有り文献によりますと、多くの仏像が破壊され三重塔・五重塔・が当時のお金で¥250で売られていたそうです。興福寺の壁は奈良公園で使われていたとあります。
多くの寺院からは住む人がなくなり空き寺も出たそうです。
いろんな本を読みますと、自分のお寺のご本尊を隠した、土を掘りうめて隠したとも書いてあり、ひどいと思われますのは昨日迄仏さま(仏像)に手を合わせていたにもかかわらず破壊したり火をつけ焼くなどとは普通に考えてできることでしょうか?
神仏分離令を誤った解釈をしなければ、もっと多くの仏像が残っていたと考えますと残念でなりません。各地の寺院をまわってお話などを伺いますと、一人のご住職さまが、あれはまさに悪夢のような出来事だったと先代、先々代が言われていたとお聞きした時には返す言葉もありませんでした。
本題の宝珠山立石寺(山寺)今回含めて3回くらいで書いていきたいと思います。
宝珠山立石寺(山寺)最初の訪れはまだ雪が残った寒い日であったことは良く覚えております(4月26日)自宅から車で山寺まで5~6時間かけて行ったでしょうか。朝が早かったのでお昼ごろには着いており山寺名物、こんにゃく煮の醤油煮(力こんにゃく)というそうです ・・・めっちゃ!うまかった・・・ 昼はそれだけで登ったので途中仁王門あたりからお腹もすき、寒さと闘いながら登りました。
雪が残っているので杖を借りて登りました結果良かったです
登山口から根本中道を経てしばらく歩きますと山門にたどり着き、ここから残雪の山道を山頂の奥の院まで階段も昇りやすい階段、真逆の階段を合わせ約800段登ります。
この続きは次回にて
最後までお読みいただきましてありがとうございました
にしおかまさる