仏閣・仏像そのー16(勝常寺)そのー1

第45回

こんにちはジュエリーニシオカのにしおかまさるです

岩手県、宮城県、山形県をはなれて、東北福島県に入ってみたいと思います。

この寺院は、会津盆地の周りは田園のどかな場所にあり、訪れたときにはどこにお寺が有るのかと思ったほど田畑の多いところで周りは磐梯山など山にも囲まれた寺院であります。

この寺院勝常寺(しょうじょうじ)拝観になる時にはお電話下さいと言われましたので、伺うときにはお電話なされてからの方が良いかと思われます。

勝常寺は2006年8月に訪れその後2度程訪れた会津の古刹であり、薬師堂は5間四方(9メートル四方)の建物で 中は薄暗く普段は鍵がかかっているようでそのため訪れる時にはお電話をくださいというのでしょう。

以前、どこの寺院か忘れましたが何故堂内は薄暗いのか疑問に思って尋ねたところ、長期間において日に当てたり 電気をつけると仏像の色が変わっていくと説明を受け納得いたしました。

しかし、別の寺院では秘仏ではなく、色おちでもなく、皆さんにつねに公開することによって、仏様はお喜びになられると言われた ご住職さんがおられました。

皆さんはどのように思われますか?

平泉の寺院、松島瑞巌寺、山形の寺院とは全く別な感じの寺院であり、この寺院【勝常寺を東北の軌跡】と呼ぶそうです。何故東北の軌跡とよばれるか自分なりに推理の結果間違っていたらごめんなさい。

この勝常寺は伊達政宗の会津侵略で多くの伽藍などを焼失したにもかかわらず、薬師堂など平安初期の仏像十二体などを含めて三十体ほどの仏像が奇跡的に残ったこと、太平洋戦争でも会津は戦火から逃れたことを含めて【東北の軌跡】というのではないかと勝手に想像いたしました。

勝常寺 創建 徳一(空海は徳一菩薩)と尊称した高僧でもあり天台宗開祖最澄(さいちょう)真言宗開祖空海と宗教論議もされたと言われております

空海に送った『真言宗未決文』は11の質問状の内容ががなかなか面白いです。

徳一上人は、奈良の興福寺で学んだとも東大寺で学んだとも伝えられ、東北地方磐梯山麓に広大な伽藍を持つ、慧日寺(えにちじ)を開山その後に会津盆地勝常寺を創建したと言われております。

慧日寺は神仏分離令で廃寺となりその後恵日寺として再興致いたしております。

徳一上人開基の寺院は会津を中心に30寺以上といわれており、その中の(東西南北と中央の寺院に五薬師如来を祀り)勝常寺の薬師さまはその中央にあたります。

次回は勝常寺の仏像にふれてみたいと思います。

さいごまでおよみいただきましてありがとうございます

にしおか まさる