阿弥陀(念仏)は死んでからでは遅い、生きているうちにお浄土へ❕ 

Last Updated on 2022年10月9日

第453回

いつもお読みただきましてありがとうございます。

 

お読みくださり理解された方は自分の人生を必ず変えます。

 

今日は「煩悩即菩提」を書くというお約束でしたが後日に回します。

代わりに、死後がハッキリするお釈迦さまの教えを書いて見ます。

いまは宗教はあまりか書きたくありませんが、(外道の仏教ではない真の仏教)を。

 

釈迦の教えを親鸞聖人、生涯の教えとして「平生業成」からやがて死ぬのになぜ生きるのかを何回かで書いて行きます。

必ず読んでよかったと思います。

そこには慚愧・懺悔が本当に生きてくることもも書いて見ます。

 

親鸞聖人は釈迦の教えを、釈迦は阿弥陀仏から直接の教えを、弥陀の誓願をどなたにも分かるように重要ポイントを抑えることで自分は必ず弥陀浄土へと。

お釈迦さまは、人は必ず地獄にと申しており、それを転じてしまうのが弥陀の誓願です。

極楽浄土の世界、仏の世界です

 

死は我々が最も考えたくないことの一つであると思われます。

仏教用語に四文字熟語「老少不定」と有ります。

 

人間の寿命とは、老若にかかわりなく、老人が先、若者が後に死ぬとは限らない、人の生死は予測できないということ。

人生の無常をいう仏教語です

 

しかし、死んだあとは自分はどこに行くだろうか?

あの恐ろしい地獄に行くのだろうか❓

死を考えると心が不安と同時に心が暗くなります。

 

【生・老・病・死】中でも「死」を考えることで「心が暗くなる」自分はどうなるのだろうか?

このことを親鸞聖人は「無明業障の病」と言われ、【苦しみの根元は「死後が暗い心」】なのです。

 

死んだらどうなる「地獄に堕ちる」のではないかと考えます。

お釈迦さまは、はっきりと地獄に行かれる人を「堕ちる」と歎異抄では書いておられます(こちら)

 

死後の世界、釈迦は生涯かけて説いた「弥陀の誓願」弥陀とは阿弥陀如来さまのことです。

 

死んだら地獄ではなく、必ず弥陀浄土にどんな悪人でも必ず浄土へ。

 

私は以前ブログで「地獄、有る無し」は、自分の心が決めることであると書きました。

 

地獄は心の中に在ると申してきました、しかしお釈迦さまがハッキリと言われるのですから否定はできません。

 

歎異抄で【お釈迦さまは「人の死後は必ずどなたも六道を輪廻転生」すると説いております】

人によっては万の数を輪廻転生されていると言います。

自分の「業」に応じたところに輪廻する。(こちら)

 

これは自分が過去生で生じたものと、現世【業】による大きさにて「六道へ輪廻」(こちら)

 

法蔵菩薩【後の釈迦】修行の結果この「絶対の幸せが」叶わなければ法蔵菩薩はすべての「正覚(しょうがく)仏の悟りを言います」を捨てると師匠である「在世自在王仏」と約束され、

十方諸仏全ての仏が出来なかった、「どんな悪人でも地獄に行く事なく必ず【弥陀浄土で往生】できるという弥陀の誓願を果されます」

 

往生とは現世でも、死後も全て「絶対の幸せ」になれると阿弥陀如来はお約束されたのが「弥陀の誓願」であります。

 

親鸞さまがおっしゃった「善人もって往生を遂(とぐ)、いわんや悪人をや」

阿弥陀如来の【(名号)南無阿弥陀仏】を頂きなさいとお釈迦さまはおっしゃっております。

それも今すぐに、生きているうちに【(名号)南無阿弥陀仏】を頂きなさいと。

 

「弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて往生をば遂ぐなり」と信じて「念仏申さん」と思いたつ心のおきるとき、すなわち「摂取不捨の利益」にあずけしめたまうなり。

念仏とは【(名号)南無阿弥陀仏】六文字です。

 

この六文字に隠された言葉の意味が少し少し理解してきますと、人を成長させ更生させます。

 

お釈迦さまは「因果の道理」を無くして仏教とは言えぬ、「因果の道理」が無ければこれは「外道」とおっしゃっております。

 

【此処からは自分の魂の汚れを知るため善に向う気持ちがどれだけ生じたか解るところです】

 

魂が綺麗になってきますと、不思議ともっともっと善いことをしたくなってきます。

この症状が出てきますと穢れた魂が少しずつきれいになってきているのです。

「因果応報は仏教の根幹ですから廃悪修繕の心がどのくらいあるか、悪を恐れ善に向う気持ち。

因果応報を深く知るほど悪を止めて善に向う心がおき、悪を止めようとする程「過去の悪ばかり思えてくる自分の心」です。

廃悪修繕の気持ちが強くなりますと見えてくるのは「自分の本当の心」なのです】。

 

歎異抄を理解するまでは本当のことを言って7:3で六道のこのあたりにいるのかなと考えておりました。

とんでもない、おごりもはなはだしい。

 

親鸞聖人はこのようにかいております

私のような煩悩の持ち主はどんなに善を積んでも地獄に堕ちること間違いなし。

他力本願では「善を積む必要は一切ないと」善を積むことがあだと成ることも。

この意味は次回に説明いたします。

 

仏になるとは、過去生がどんなに汚れていても浄土で阿弥陀如来さまの指導を受け「絶対の幸せになり仏として生まれ変わります」

 

たった六文字

「南無阿弥陀仏」の不思議

 

「南無」帰命する

「阿弥陀仏」阿弥陀仏が私たちをお助け下さる

 

六文字のすがたは、われら一切衆生の平等にたすかるすがたと知る。

すがたとは(お力と働きを言います)

衆生とは(私たち凡人)煩悩の持ち主

 

弥陀浄土には【自力本願】の人は行くことができません、【他力本願】の方だけがお浄土に!

 

20年位前は、他力本願で弥陀浄土へ行けると知つておりました、しかし嘘だろ例えば私のような悪業を重ねた者が地獄へ行かず弥陀浄土へ?

過去のブログでも他力本願は認めておりませんでした。

 

今年春先本屋に出向きお釈迦さまの名言集を探しに行ったのですが、仏教本近くには歎異抄がいろんな角度で配置されており、一旦は無いので出口まで戻った時、

何かが私の背中を衝き「歎異抄を読みなさい」と言っているようで結局買い求め、しばらくは本箱の中。

 

やっと読み始め、本当に一文字一文字を理解しなければ弥陀浄土は遠く、

分かりやすく書いていると言っても何十回も読み直しそのうち歎異抄のノートも数冊に。

 

お釈迦さまが教えてくださった、壊れない絶対の幸せをつかみましょう。

書ききれませんので次回に続きます。

 

ジュエリー・ニシオカ  

    にしおか まさる

 

世界中の子供が皆健康で幸せでありますように。

私を嫌う全ての人が幸せでありますように。