仏閣・仏像そのー12(本山慈恩寺)-1

Last Updated on 2019年3月15日

第40回

こんにちはジュエリーニシオカのにしおかまさるです

今回は山寺の帰りに寄った、山形県寒河江市にあります古刹本山慈恩寺を2006年5月13日に訪れました。

746年  インド僧 婆羅門僧正が開山されます。

1108年  藤原基衡再興

ご本尊  1298年 弥勒菩薩坐像   (鎌倉時代)

1665年  2812石の朱印地を幕府から与えられ東北最大の巨大巨殺となります。私がしりえる範囲で簡単にこの朱印地とは幕府から朱印状なるものをいただきます。この朱印状は誰も手が出せない(発行元は幕府つまり4代将軍)当時の将軍は徳川家綱で、将軍は1664年1万石以上の大名に領地朱印状を、1665年公家、寺院などには領地目録を与え本山慈恩寺はこの対象に入ります。

大名から所有地を与える書状を黒印状と言います。それは幕府、大名から与えられた約束小切手のようなものです。

話は少しずれますが、四代将軍は武士には優しく農民には厳しい政策を、10歳で将軍職になり40歳で亡くなり、その間家綱自身は政治の主導を握れず周りの重臣・学者からの世情を聞き政治を行ったと言われておりす。

この寺院を訪れ、今迄訪れ見てきた寺院のご仏像と慈恩寺のご仏像,薬師堂内の十二神将のお顔が中でも波夷羅(ハイラ)が特に異質な感じを受け、婆羅門僧正がインドの僧なのでこの様なお顔かと一瞬考えたほどでした

薬師堂には十二神将が(鎌倉時代)当時の十二神将のお色も残り訪れる方を圧巻いたします。焼失され制作年代の違うものもありますが躍動感がありすばらしい十二神将であります

 

薬師堂内の薬師三尊像、中央が薬師如来坐像・脇侍日光菩薩立像・月光菩薩立像・本尊の薬師如来はひのきの寄木造り(寄木とは各部所の部位を造りそれを合わせて一つの型を造る)であります。

(薬師如来さまは仏様、十二神将は神さま)神さまが仏さまをお守り、不思議なようですが薬師如来さまは12の誓願を立てられて衆生の救済を行っていることから十二神将が十二か所から薬師如来さまを守護されているそうです。又十二支とも深いつながりがあります。

この続きは次回にて

最後までお読みいただきましてありがとうございました

にしおかまさる