高台寺は秀吉&北政所の思い出の詰まつた寺院ー3

Last Updated on 2021年2月10日

第68回

こんにちはジュエリーニシオカのにしおかまさるです

高台寺には、秀吉亡き後の権力者となった徳川家康も訪れ、北の政所を丁重に扱い家臣を普請担当させ中でも堀直政のはたらきが大きく、高台寺開山堂には堀直政の木像が安置されております。

しかし、徳川家康もタヌキと言われる人、戦にそなえ北の政所を味方につけ大阪夏の陣での(1615年)北の政所の口添えなどで亡き秀吉の家臣を徳川に味方につけ辛くも勝利、大阪城が落城したのを見た北の政所は高台寺で涙し、豊臣家滅亡後には、徳川家康のまさかと思う豊国神社の廟堂を破却してしまう仕打ちに合い北の政所は病になり、秀吉亡き後1624年に亡くなります。(享年77歳)他の説もあります。

実は、この大阪夏の陣で活躍された秀吉家臣はみな外様大名であり、家康亡き後 福島正則は些細なことから徳川秀忠によって現広島領地50万石を越後魚沼郡に領地替えを命ぜられ4万2千石になり、外様大名の中にも上手に立ふるまうものや幕府からいらぬ出費がかさむ今でいう公共事業をおおせ使い、幕府は外様に対して謀反など起こさせぬように常にお金を使わせ目を配っていたようです。

 

高台寺にもどり、ねねは秀吉との思い出を大切にされ伏見城から庫裏(庫裡)玄関からはという衝立があります(この夢は秀吉の辞世の句の一文字をいただいたのかと思いました)

方丈は当時伏見城から移築されたといいます。(傘亭・時雨亭も伏見城から移築)

 

庫裏からは臥龍廊が見え、ここは当時入ることはできませんでした。屋根の姿が龍の背中に似ていることで臥龍廊とつけれこの臥龍廊の下というのでしょう開山堂その上には霊屋(おたまや)があり近くに傘亭 時雨亭などがあったと思いました。

 

霊屋にはねねの宝形造りの廟堂(北の政所・寧々の墓所、説明によります豊国神社の廟堂に似ているとの事です)須弥壇正面右側に豊臣秀吉木像小さい厨子をはさんで左側に北の政所木像が、北の政所木像2m下には北の政所が眠られているそうです。

 

この蒔絵は桃山時代の蒔絵で有りましてねねさんの須弥壇には高台寺蒔絵として有名な(松・竹・楽器・花筏(はないかだ))と言われる見事な蒔絵で有ります。

このお二人の木像を見ただけでも充分満足の出来た高台寺でした。

 

今迄見てきた東北の寺院とは何が違うかといいますと高台寺は豊臣家の北の政所(ねね)の心の奥深さを教えられた寺院でした。

さいごまでおよみいただきましてありがとうございました

にしおかまさる