今は昔「昭和の東京穀物商品取引所-3」私の人生摩訶不思議

Last Updated on 2022年9月3日

第449回

いつもお読みただきましてありがとうございます。

仕手戦という言葉が使われますが、そもそもその意味は(ここでは商品取引でお話し致します。)

玄人の相場師や大口投資家などが同じ商品銘柄をめぐって、売方と買方に分かれて相争うことであり、時には場立ちは袖を引かれたり押されたりいたします。

 

ストップ高、ストップ安はいつも小競り合いがあり、これが仕手戦が絡んだ時の両ストップには言葉では言えない異様な状況です。

仕手戦とは、最初は小さな波が足元を横切っているようで全くきずきません。こちら

 

実におだやかな立合いが続き、その間仕手戦の中心人物は影であらゆる手に対して思考しております。

買占めがばれたなら相場は一気に動き出し、その基は誰が行っているのか市場で憶測が飛び立ちます。

仕手戦も必ず成功するとは限らず道半ばでとん挫してしまうこともありこれは東穀で経験します。

 

大きな仕手戦は名古屋に転勤した時に、東京を舞台にして行われました。

これは何故分かったかと言うと私が勤める会社に50代の男性がお越しになり、カウンターの受付にて「営業の人」ではなく事務の人と言う希望でした。

 

私が会って色々お話しするうちに、この方は玄人筋と判断いたしました。

その理由として、

1.当方から電話するので一切電話をしないで欲しい。

2.証拠金は素人とは思えないような金額を納付。

3.証拠金はお預りして、建玉に不要な証拠金は一週間たちますとお返ししなければならないとの(当時は農林省の管轄)指導があります。

これに対して念書入れるからと言われましたがお断りいたしますと、それなら西岡君が預かって欲しいということで結局は会社でお預り。

 

東京穀物商品取引所には多くの会員からなり、場内(立合い所)のひな壇の真下の中央に場立ちの会長が陣取りその位置は私が東京穀物商品取引所(以下東穀)にいた時には場内に目を張り巡らし、威厳を保っていたようです。

場立ち役員三役はやはり威厳を保ち中央ひな壇下におられ、なかなか本人はご満足のようで私たち若造から見ると多少は滑稽かな。

 

立合い場内での自分の立つ位置は決まっており私はひな壇から見て左中央でした。

いつも補助員が見える範囲にいることが私のような駆け出しの場立ちの位置です。

 

補助員時代他社の場立ちのいうことに決して逆らわず仕えており、後に私が間違えた時には玉(ぎょく)を回してくれたり、仕手戦はどこが絡んでいると教えてもらうことができました。

補助員時代小僧のやり方で可愛がられました。

 

毎日が辛いなどとは思わずストップが付いて大商いであると取引き所からYシャッ仕立券1万円少々相当の仕立て券がいただけます。

多い時には一年で3枚程毎年頂いており、Yシャツだけでなくこの金額相当であればなんにでも交換できます。

 

有効期限は1年位かと、その間貯めて少し高いものと交換できます。

20代前半でYシャッはいつも仕立ての良いものを着ており会社の人からはいつもうらやましがられ、少しその頃から「小天狗」になったのかな。

 

名古屋支店に転勤が出て東京穀物商品取引所とはお別れです。

 

僅かな期間でした、しかし好きではるばる北海道からこのために出てきたのですが、東穀には目標の場立ちにもなり「映画、TVの世界を」この身で実際に経験できたことで、転勤には喜んで行きました。

 

東穀の場立ちの経験を生かしてほしいと。

 

しかし名古屋支店では内勤責任者が過去一人も常務とそりが合わず、全てが2年程で東京に返して欲しいと、私もその口だろうと転勤した翌日直接常務に言われます。

途中で東京に戻りたいなら返してあげると2度ほど言われましたが、こんな面白いところから冗談でしょうと思っておりましたのでいつも名古屋におりますと。

 

そのうち嫌味もなくなり、常務宅に徒歩5分位の処に常務がアパートを決め引っ越します。

 

名古屋支店では自分の考えで、お客さまからの売買を市場に私の一存で出来ます。

東穀で場立ちになりしばらくしてから、将来自分が場立ちに売買を促すようになったら面白いだろうと何度思ったことか。

 

それが名古屋で叶うのですから。

自己玉も全て自分の采配で、まだ24歳です。

会社の損益もこの手に任されたのです、責任重大。

 

東穀での場立ちが認められ、場立ち時代毎月社内報に相場について3000文字くらいで書いておりました。

 

いつ、この社内報から手を引こうか悩んでいたところに名古屋転勤です。

毎日が楽しい、朝礼で今週の相場の流れを話します。

 

まとまった売りが欲しいとか、買いが欲しいとかお願いしたりもします。

名古屋で合った玄人筋は、私を大変気にいって下さり、一緒にお酒を飲む間までになり、買占めにどこが絡んでいるかヒントを与えていただきました。

 

ヒントだけで解かり翌日名古屋支店常務に申し上げ、本社社長に直に電話いたしました。

そのころにはやや生意気な「中天狗」だったんだろうと思います。

玄人筋の方は最終的に金額は伏せますが相当な金額を手にし、私に後日大変な品物を下さり、お返ししようとしたのですが最終的に頂きました。

 

その後、この方とは私が名古屋から東京に戻ってから電話などで、また名古屋に出張の時にはお会いし今はこうしたらいいよとか必ずアドバイスを受けました。

東京に転勤したのは28歳だったと思います。

名古屋支店では一週間の間3日間は常務と毎日飲み歩きます。

クラブのはしごです。(今のクラブとは違います)

 

東京に戻った理由は、A社を買収し常務が社長として出向くことになり私も、経理、市場の責任者として28歳で役員で新会社に行きます。

今度は名古屋穀物商品取引所ではなく、再度相手は、東京穀物商品取引所になります。

 

商品取引会社に入社し、この時が一番楽しい毎日です。

北海道から来てよかったと何度思ったことでしょうか。

 

この時分は「大天狗」です。

今考えますと背筋がゾッといたします。

 

純粋に、この世界に入りたいの心が、醜い心に変わるには時間はかかりませんでした。

 

他の人より「金、プラチナ、ダイヤモンド」にチョット長く携わっている普通の人間です。

 

ジュエリー・ニシオカ  

    にしおか まさる

 

世界中の医療従事者の方が皆健康で幸せでありますように。

 

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