極楽に往くも、六道輪廻を繰り返すもあなた次第。

Last Updated on 2023年2月16日

第474回

いつもお読みいただきましてありがとうございます。

仏教の教えとは一体何なんだろう。

数年前から考え、自分の過去のブログを読み返しますと良くも悪くもよくここ迄書けたと呆れます。

 

何度も投稿に❓が付きましけた。

しかし後悔はしておりません。

もっと学ばなければ、学べば何とかなる。

 

そのお陰で仏教とは何だろう! 少しは身に付いたようです。

今では自分は何のために生まれてきたか少しだけ解決いたしました。

 

人間は幸せになるために生まれてきているのです。

それもただの幸せではなく永遠の絶対の幸せです。

人生「諸行無常、四苦八苦」の連続です。

 

死ねば「六道の輪廻」を繰り返しているのです。

 

「六道の輪廻」から解き放されることができるとお釈迦さまはおっしゃっておられます。

 

阿弥陀仏の本願を疑う心が、何度も何度も「六道の輪廻」を繰り返し、人間として生まれてきたチャンスを生かせず「六道の輪廻」から離れられず絶対の幸せをつかめないのです。

 

そのチャンスは生きているうちにしかありません。

「現世で四苦八苦」、「来世では畜生道、餓鬼道、地獄道」、いつ絶対の幸せになるんですか。

 

信心獲得して【名号「南無阿弥陀仏」を頂きお浄土に往く】ことができます。

私は信心獲得するためにこの世に生を受けたと思います。

 

宗派問わずどなたでも信心獲得することでお浄土へ。

何度もブログで書きました、お金などは一切かかりません。

 

自分が納得して信心獲得することで名号(南無阿弥陀仏)を頂き念仏者となり(南無阿弥陀仏)を自分一人で唱えるだけです。

 

もっと分かりやすく言いますと、

 

信心獲得したら(南無阿弥陀仏)を唱えることで名号は自然と頂いております。

 

中には(南無阿弥陀仏)を唱えるだけでお浄土に往くことができると思っている方がおられますがこれは大きな過ち。

 

信心獲得し「無碍の一道」に出て障りのない人生を。

 

しかし無上の幸福に救われても、煩悩の塊は変わらず、煩悩は即菩提と変わって行きます。

 

絶対に「信心獲得」しなければお浄土は叶いません。

 

この五行はとても大切なところです。

 

 

お釈迦さまが説いたものを、その後いろんな高僧から高僧へと伝えられ親鸞聖人から蓮如上人へと。

平安~鎌倉時代、今とは違いSNSもなく辻説法も大変だったと思います。

 

阿弥陀様のお誓になられたことが弥陀の誓願としてお釈迦様から現在に受け継がれているのです。

 

私は弥陀の誓願「疑いあることなし」です、疑いは一切ないということです。

 

信心獲得しなければ次はどのような形で生まれてくることか、

人間以外の動物、

運よく人として生まれても前世の「因」が発生し「また四苦八苦」

 

このことを何度も繰り返す人間が気の毒で見るに堪えられないと言うことで、どんな悪人でも救うと阿弥陀仏は修行され、それによって私たちは信心獲得することで【お浄土へ往き「仏」】になれるのです。

 

仏教に盲亀浮木(もうきふぼく)という言葉があります。

 

人間に生まれることは大海原の海底で100年に一度盲目の亀が海面に首を出し首が偶然にも浮木の穴に入る例えであり人一人の誕生はそれぐらいの、奇跡といってよいぐらいのことなのだと、仏教では教えられています。

 

例え、生あるものに生まれても、人として生まれるの?

何処の国に生まれるか分からないのではないかと思います。

 

自分も今ではここまで何度も生まれ変ったんだと理解し、【後生の一大事(死んでからのこと)】を理解し「信心獲得し無碍の一道」となり、「無碍」とは、(碍)さまたげがないという意味。

「念仏者は、何ものにもさまたげられることのない」という意味です。

 

しかし煩悩は生涯消え果てることはありません。

 

まず怒りの煩悩には、MAX10としたら今の怒りはいくつと自問自答すると、数値は低数値でくだらないことで怒っております。

 

その時には「仏の智慧の光」をより所とすると煩わしい煩悩は何とかなります。

 

親鸞聖人は「念仏者は、無碍の一道なり」と言われております。

「信心が無ければ絶対に極楽浄土には往けません」。

 

「弥陀の誓願」を疑ってかかってもそれが普通であり、私は「他力本願で極楽」「悪人が極楽」(こちら)そんなことがあるかの一人でした。

 

何度も読み返し聴聞をしたことで「信心決定」いたしました。

 

折角、阿弥陀仏が救ってあげると言っているのにそれを無視とは何ともったいないことか。

 

人はいつ死ぬか分かりません、死の話をすると縁起でもないと言いますが人は 100%必ず死ぬのです。

 

現実は早いか遅いかの違いです。

成ればこそ、弥陀の誓願を聴聞して下さい。

 

これも人生なんだと考えることができるようになり、どんな因縁が襲ってこようが決して愚痴は言わず、今では「ようこそ、ようこそ」のバカの一つ覚え。

この言葉を使う時には、小学生の頃母の実家である熊本に1年程いたので九州弁で言います。

 

煩悩が来ると「ようきんしゃった、ようこそ、ようこそ」

 

これが自分の煩悩対策です。

 

「人生は諸行無常、絶対の幸せなど続かないのです」。

 

いまの幸せは永遠に続くのかなと思っていても必ず壊れます。

これが人生なんだと何度も思いました。

 

この時絶対にやってはいけないことは人のせいにしない、全てが自分が招いた結果であると思うこと。

 

☆「信心決定と信心獲得(しんじんぎゃくとく)」は同じ意味であります

 

 

私を嫌う生命が幸せでありますように。

 

他の人より「金、プラチナ、ダイヤモンド」にチョット長く携わっている普通の人間です」。

 

今日も長くなりごめんなさい。

 

ジュエリー・ニシオカ  

    にしおかまさる