絶対の幸せになるために人は生まれてきたのですよ。

Last Updated on 2023年1月4日

第464回

新年あけましておめでとうございます。

いつもお読みいただきましてありがとうございます。

お読みくださり理解された方は自分の人生を必ず変えます、変えてください。

 

皆様のますますのご清栄をお祈り申し上げます。

 

新年早々お浄土・地獄等と縁起が悪いと思われる方もおられるでしょう。

 

仏教のことをブログで配信することのためらいもありますが生死観は大切なこと。

生死観を持てない人は何をやっても中途半端な人間で終わることが多いと言います。

 

何度も言いましたように、仏教を学んだことも無い私、商業高校卒業の私、文才も何も無い無い私が弥陀の誓願を何度も書いてまいりました。

これは人間にとって一番大切な大切ことで新年早々第二弾投稿させていただきました。

 

私が書くことにお腹立ちの方もおられるようです。

私は大それた気持ちもなく、ただブログで配信することで「自分は何のために生まれてきたのか」を知って欲しい。

 

どなたにも「弥陀の誓願」を知っていただき、現世、未来と絶対の幸せになって欲しいその一念だけです。

同じ人として生まれたからにはみんなが崩れることのない絶対の幸せになって欲しい。

 

文章力も無い、しかしこのように投稿することでお一人の方にでも読んで頂き一人でも絶対の幸せになって欲しい気持ちで一杯です。

 

本当に一人でもいいんです、このブログを読み「後生の一大事」を知り、「破暗満願」になり一番大事な「信心決定」して下されば。

 

仏像好きから始まり何度も何度も自分は何のために生まれてきたのだろうかと自問自答を繰り返し、自分の魂を磨くために生まれてきたと思ったこともあります。

 

誤った答えでもありません。

 

しかし生まれてから作った悪業は過去生に加算され、なお一層大きくなっております。

どんなに善行を積んでも仏になることは皆無です。

 

修行されて仏になられたお方はお釈迦さまただお一人です。

 

お釈迦さまが言われる「人は死ぬと必ず六道に堕ちる」と、中でも(こちら)にはいきたくありません

修羅道(争いの世界)

畜生道(畜生の世界)

餓鬼道(生前強欲で、慈悲の心もなく、私利私欲のかぎりつくした罪)

地獄道(罪を継ぐなわせるための世界)

 

仏には52の段階があり生前に「後生の一大事」(こちら)を知り、この意味をしっかり理解することです。

 

信心決定することで、死んだ後51段階に当たる仏になることが約束されております。

私のような悪業を重ねた者が地獄でなく、弥陀浄土へ。

 

私たちがこの世に生まれてきた本当の理由は!

 

迷い苦しみとの縁を絶ちきるために生まれてきたのです。

 

人間は悩み苦しみが多く、それは過去生の因果でもあり、煩悩はどんなに頑張っても消える」ことはありません。

仏教の根幹である【因果の道理】が分からないと仏教は分からないと言います。

 

六道を往ったり来たりする人は何度生まれ変わっても自ら作った「自因自果」は消えません。

懺悔はとても大切なことであり次回懺悔を詳しく書いて見ようと思います。

 

【因果の道理】をきちんと理解しますと仏教の真理と言うものが解るかも知れません。

人生における問題はすべて、自分に原因があると言われております。

 

何度【死んで生まれてきても「後生の一大事」を知らなければ又同じ事を繰りかえすだけ】です。

 

生きているうち信心決定すると仏になる確約がいただけるのです。

何度も繰り返してきた言葉ですが

 

【お浄土に往くか、地獄に堕ちるかでは「雲泥の差」の違いよくよくお考え下さい。

 

お浄土に往くか、地獄に行くかの決断は生きている今しかありません。

死んだ後お浄土に往きたいと思っても往けません。

 

一昨年母を亡くし、「後生の一大事」を知っていたなら何としてでも母に「信心獲得」してもらっていたでしょう。

このことが私の最大の親不幸なのかも知れません。

 

もし両親が来世で苦しんでいたなら子として助けたいのは当たり前。

自分の母が地獄で苦しんでいると考えますと悲しくなり何とかすくって上げたいと思うのが子供の心。

 

強要はしません、費用も掛かりません、私のブログはいくら見てもただです。

 

共感することがあるようでしたら他の方がユーチューブで「他力本願」とかで検索するとあります、中にはチョット違うと言うのもあります。

 

50代後半から家内と二人で東北の古寺、仏像を観て参りました。

 

ある寺院のご住職さまのお話で

阿弥陀如来さまが日本中に多くあるには理由があると。

 

その話を聞いているうちに戦国時代の武将が多くの人命を奪って今更「他力本願」もあるまいと思ったものです。

その話は絶対に信じませんでした。

 

人を殺して弥陀浄土へ往けるはずがない、おかしいんではないかと。

 

縁と言うのでしょう

今は、歎異抄を一気に加速するように読み終え、何度も何度も繰り返し読むことで【「弥陀の誓願」これを知らさせるために本やで出合ったと】

 

全く探し求めた本とは違う仕方なしに求めた「歎異抄」という本でした。

 

人生で起こることは全ては導かれているのです。

 

此処で初めて阿弥陀仏の【他力本願とは阿弥陀仏の本願力】を知り、何十回も聴聞し、本を読み【本願力を疑うことなく(疑いあることなし)となり信心獲得致】しました。

 

自分の悪業を消したいその為に善を積もうとする行為これは素晴らしい行いであります。

しかしお浄土に往って阿弥陀仏のお力で煩悩は消滅致します。

 

しかし人間界ではどんなに頑張っても仏にはなれません。

それどころか我が人生、生まれてきた時以上に悪業が多くなっていないか心配です。

もちろん過去生は記憶にありませんが。

 

 

此処からは誤った先入観を持たないでください。

どんなに「南無阿弥陀仏」の念仏を称えても心獲得」していなければお浄土にはいけません。

中には「南無阿弥陀仏」を称えているから我が身は安泰だと思ってる方もおられます。

 

信心獲得は絶対必要です。

 

信心獲得したなら必ず分かります。

今迄と違う自分があります。

 

私は仏教者でもありません、我が家の宗派は浄土真宗です

仕事では一切このような話はいたしません。

 

他の人より「金、プラチナ、ダイヤモンド」にチョット長く携わっている普通の人間です」。

 

ジュエリー・ニシオカ  

    にしおかまさる

 

世界中から戦争がなくなり皆幸せでありますように!