仏閣・仏像そのー5(松島、五大堂)

Last Updated on 2019年3月13日

第33回

こんにちはジュエリーニシオカのにしおかまさるです

33回目は、松島をお届けいたします。

2011年3月11日の東北大震災から8年がたとうとしております お亡くなられた方には心から哀悼の意を表します。

 

私が松島を訪れましたのは、中学3年の修学旅行でした。この旅行もほとんど記憶もなく、思いだそうとしても中尊寺金色堂で友と撮った一枚の写真参道の大きな杉の事しか思いだせません。

2006年5月14日に松島に、当時牛久市に住んでおりましたので、牛久市から常磐自動車道で5月12~13日山形立石寺(山寺)とその近郊のお寺をまわりました。(立石寺は後日お届けいたします)

5月14日に山形自動車道から東北道に入り仙台南部道路と思いますが松島に入り遊覧船の時間帯を見て松島湾一周の仁王丸でおおよそ50分の観光だと思います。カモメに餌を購入して与えるのですが、そのえさの取り方は他のカモメとの奪いあいです。

松島には260余りの島があり、近くに伊達政宗公の瑞巌寺、五大堂といった大きな名所あり宮城県には多くの人が訪れております。この松島での魚はとてもおいしくいただきました。聞くところでは三陸沖は親潮と黒潮が混ざり合うところで大量のプランクトンが流れ込むことで、魚貝類は絶品です。

北海道の小樽のお寿司松島のお寿司&長崎のお寿司、全てが横綱です。日本海のお寿司は食したことがありませんので、評価はできません。

お寿司は大好物ですから日本全国美味しいと思います。

東京・・・大好物の穴子です。軽く炙りたれを付け最高!

牛タンを忘れてはいけません。当日おひる牛タン、夕食はホテルで、翌日お昼はお寿司でした。おいしかったですネ!

1689年~1691年まで、松尾芭蕉が訪れ奥の細道という旅日記、奥州~北陸道を何でも150日で2400KMを移動して江戸に戻ったとの文献あり。松尾芭蕉は幕府の隠密であつたとか、たしかに芭蕉の母、祖父は忍者「丹波百地」芭蕉は百地の血を受け継いでいるようです。

芭蕉は松島では一句も詠んでおらず、仙台藩の内部調査をしていたのではないかともいわれております。

本題の松島に戻り260島の中でも仁王島(松島湾の傑作と呼ばれる) よろい島(よろいの肩かけに似ている) 在城島伊達政宗月見の宴会をしたと言います)かぶと島(侍のかぶる兜に似ている)鐘島(島に空い4ッの穴からの波音が鐘の音に似ている) 双子島(小さいのが亀、大きい名がくじらに似ている)千貫島伊達政宗お気に入り)このように松島湾の観光案内に記されております。

五大堂は次回に

さいごまでおよみいただきましてありがとうございました

にしおかまさる