心に残る仏像(阿修羅)興福寺

Last Updated on 2020年9月3日

第249

いつもお読みいただきまして心から感謝申し上げます。

仏像が大好きで、運慶、快慶の仏像に見入ります。運慶は海で例えますと大きなうねりの波であり、快慶は繊細で緻密で運慶とは異なる仏像に見えどちらの仏師も素晴らしい仏像ばかりで魅了されます。

運慶仏35体、快慶仏64体と言われ運慶仏は全て国宝、重文指定、快慶仏は多くが国宝、重文に指定され興福寺には運慶作、四天王立像、無著菩薩立像、世親菩薩立像、弥勒如来坐像素晴らしい仏像が鎮座され、東大寺の金剛力士像は二体合わせ6,100ピースが集まり二体の金剛力士像になっております。

今度見る機会がありましたなら胸や腰のあたりに制作時における修正箇所もあり楽しく仏像を拝観できます。

私が観てきた仏像の中でも忘れることができない仏像のいくつかには、興福寺に鎮座されております阿修羅像に魅了されました。もともと阿修羅像には興味があり、東北地方の仏閣や仏像を一通り見てから奈良に行くつもりでおりました。

運よく2009年興福寺創建1300年記念と題しまして東京国立博物館に(興福寺)阿修羅展が行われ5月下旬の午後の暑い時間帯でしたがしっかりと並び、目に焼きつけて参りました。

 

想像していたより線が細いと感じたことが正直な感想で、立像で153.4cm何よりも腕が細く、体も全体に細くどこにこの体で、帝釈天に数えきれないほどの戦いを挑んだことが不思議であり、この戦いの数さえ数えられなかったと言う帝釈天と阿修羅。

仏師は百済から渡来された将軍・万福仏師と言われます。

 

文献によりますと、阿修羅の娘さんを拉致し乱暴を働き妻にしたと言われる帝釈天、このことに怒った阿修羅が帝釈天に戦いを挑み「阿修羅は正義の味方、帝釈天は力の神」正義のために戦うのです

が、阿修羅は帝釈天に幾度となく戦い挑みますがいつも力と武力の差にはね返され、

阿修羅を許すことができなくなり天界から追放になり餓鬼道近く迄落とされお釈迦さまにさとされ心を入れ替えた仏であり何とも言えない優しい少年のようなお顔立ちであります。

頭が3っ、腕6本、本当に優しい顔でありこの阿修羅から、修羅道と言われる言葉も生まれたのです。

 

阿修羅の娘は帝釈天と夫婦になり幸せに暮らしたと言われていたにも帝釈天を許すことができなかったのです。

許すと言うことは神道、仏教共に大切な事であります。

 

実にバランスの取れた阿修羅像、八頭身とも言える等身の姿から、凛々しいお顔立ち、どこかさみしそうなお顔立ち、少年のような穢れのないお顔立ち、素晴らし阿修羅像であり、東京博物館内の興福寺に思いを寄せて少し興奮して帰りの帰路に!

興福寺にはまだ他にもたくさんの仏像が重文四天王立像(運慶の父康慶の作)や、八部衆像(仏法を守護する神)、十大弟子像(お釈迦さまの弟子)などが鎮座されております。

奈良県「興福寺、法隆寺、金峯山寺」は、このコロナ禍が終了したら是非伺いたい寺院であります。

 

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