あの人は「業が深い人&罰当たりな人」との違い(六根清浄)
第430回
いつもお読みただきましてありがとうございます。
お読みになり実践することでご神仏さまから「徳」をいただけるものと信じております。
仏教とは学ぶほどに奥深く、人に教えられたものでもなくご先祖さまのお供養に始めたのがきっかけです。
仏教は基を正せばお釈迦さまの教えを弟子たちが、釈迦入滅後に弟子の各自が釈迦の教えを経典にしたのが「仏教の始まり」とのこと。
日本に仏教が渡来したのは、中国の高僧鑑真和上であり、奈良時代に仏教の教えを正しく広めた人で、
何年もかけ幾度か船も難波し自身の両眼も失っても日本に仏教を広めて下さり、
日本に到着して(唐招提寺建立)10年程かかり朝廷に会うことができ朝廷に「戒」を授けております。
お釈迦さまは弟子たちに、自分の行いは必ず自分に返ると教えており、それが【「因」事のおこる基】。
では「業が深い」とは
あの人は「業の深い」とは前世での行いが悪かったためその報いを受けている。
欲深い、運が悪いことを指して「業が深い」と言います。
あの人は「罰当たりな人」とは自らが行った現世での悪事に対する天からの報い。
自分が知らないうち過ちを犯すこともあり、その日のうちに「慙愧懺悔」を行いましょう。
「業が深い」とは決して清らかではなく「罪と罰を背負っている」という意味で用いております。
「業が深い」と「罰当たり」は違うものです。
業とは仏教用語では「カルマ」と言っております。
業でも、「強欲」という方もおり意味は飽きることを知らない程の欲求です。
業が深い人より強欲な人の方が、欲への欲求が高いと言われております。
良い原因から、良い結果が生まれ
悪い原因から、悪い結果が生まれる。
結局は「因果応報の法則」通り(こちら)
自分の行った行為は、必ず「今日・明日」&「未来」自分に返ってくると云うことであり、私も含め善いことをしなければなりません。
嫉妬深く、物欲(ブランド品)への執着心の強い人、お金への執着心。
お金持ちは、少しでもお金が無くなると不安がつのりお金を出すことを嫌がり、そのような方は周りにもおられると思います。
お金持ちになり、良い家に住んで自分を誇示したい、それが死んでから何の役に立ちます。
死んでからは、魂だけが自分の物であり、肉体、お金、家、その他すべては借り物です。
私は、お金持ちではないので言えるのかもしれません、沢山のお金を残して死んでも喜ぶのは子供か親類です。
何の労も無く手に入るお金も「業」と言えるかもしれません。
お金持ちと言われるのも嬉しいでしょう、その為に働いてきたのですから。
でもその間、見えないところで多くの悪業を作っておられるかもしれません。
あの世で子供たちの醜い遺産相続を見ることになります。
見返りなしでお布施をすることで、罪は最低でも一つは消え善行となります。
積善の家には必ず余慶ありと言います。
その意味は
善行を多く積み重ねた家には、その報いとして必ず子孫にまでよいことが起こり幸福になり、 「余慶」は、祖先の善行の報いとして子孫が受ける幸福。
仏教には、「三帰依文」と言う教えがあります。
次に人間に生まれることはいかに難しいことであるか。
自分の爪に砂をかけてどれだけの砂が乗りますか、それほど人間に生まれることは難しいことであると。
人は、必ず死にます。
いつ死ぬか分かりません。
人生は一度限り。
この「死生感」を理解して、今を大切に精一杯生き切ることが大事なことです。
自分の悪業には気ずかず
人生100年として、あの世ではもっと長く苦しむのです。
「善因善果&悪因悪果」
池波正太郎さんが言う、人間とは「業の深い生き物」であると。
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