慚愧・懺悔、「六根清浄大祓詞」理解しさらに大きな変化へ-2
第415回
いつもお読みいただきましてありがとうございます。
お読みになり実践することでご神仏さまから「徳」をいただけます。
どなたもお持ちになる「大小の罪」あなただけではないことを理解して下さい。
自分の心の中を見ることで人は皆大なり小なりの罪をもっているという事です。
「慚愧懺悔とは」
懺(さん)とは…「心のとがを天に恥じ、自分に恥じること」
愧(き)とは…「自分の罪を地に恥じ、他人に恥じること」
「六根清浄とは」…「六根」とは私欲や煩悩、迷いを引き起こす目・耳・鼻・舌・身・意の六つの器官、「清浄」とは煩悩や私欲から遠ざかり、清らかで穢れのない境地。
「慚愧・懺悔」犯した罪は決して許されるものではない。
しかし日々罪を反省して慚愧懺悔六根清浄を唱え、自利他己「自分を忘れて他者の幸せのために祈り尽力すること」
天台宗では忘己利他【もうこりた)という言葉を使っております。
魂を清らかにするために汚れたものを現象で見えても我が魂には入れない。
【このことが基本となります】
(カッコ内は)現代訳詞にして見ました。
六根清浄大祓詞(こちら)
天照皇太神の宣はく
(天照皇大神さまはこのように言われました)
人は則ち天下の神物なり
(人は地上に現れた神の子分け御霊です)(こちら)
須掌静謐 心は則神明の本主たり
(本当の心こそ神と人の大木である)
心神を傷ましむること勿れ 是の故に
(自分の魂を傷つけないようにしよう)
目に諸の不浄を見て 心に諸の不浄を見ず
(目にたくさんの汚いものを見ても魂には持ち込まない)
耳に諸の不浄を聞きて 心に諸の不浄を聞かず
(耳にたくさんの汚いものを聞いても魂には持ち込まない)
鼻に諸の不浄を嗅ぎて 心に諸の不浄を嗅がず
(鼻にたくさんの嫌な臭いをかいでも魂には持ち込まない)
口に諸の不浄を言いて 心に諸の不浄を言わず
(口でたくさんの嫌な言葉を発しても魂には持ち込まない)
身に諸の不浄を触れて 心に諸の不浄を触れず
(身体にたくさんの汚れた物に触れても魂には持ち込まない)
意に諸の不浄を思ひて 心に諸の不浄を想はず
(心にたくさんの不浄のことを考えても魂には持ち込まない)
此の時に清く潔き偈あり
(この時には心は清く澄んでおります)
諸の法は影と像の如し 清く浄ければ
(多くの現象は陰や映像であり実体ではない)
仮にも穢るること無し 説を取らば得べからず
(もともとが清いのだから汚れることはない)
皆花よりぞ木実とは生る 我が身は 則ち 六根清浄なり
(この身体は神様から生まれた清いものですよ、この身は六根清浄なんです)
六根清浄なるが故に五臓の神君安寧なり
(六根清浄だから、心の中におられる神様が五臓を守ってくださるのです)
五臓の神君安寧なるが故に天地の神と同根なり
(心の中の神さまが、穏やかで天地の神さまも穏やかなのです)
天地の神と同根なるが故に万物の霊と同躰なり
(天・地・人の神さまが一体なので霊魂もひとつ)
万物の霊と同躰なるが故に
(自分の魂と万物(宇宙に存在するあらゆるもの)の魂もひとつ)
為す所の願いとして成就せずといふことなし
(万物の霊と一体であるから願うものは全て成就「かなえられる」)
無上霊宝 神道加持
いかがでしょうか、六根清浄大祓詞
(カッコ)内を覚え我が魂に不浄なものは入れない、これが六根清浄です。
次回は(慚愧懺悔)(六根清浄)のつながりを投稿します。
全てがつながっております。
生きとして生けるもの全てが幸せでありますように!
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