今は昔「昭和の東京穀物商品取引所-1」私の人生摩訶不思議
第422回
いつもお読みただきましてありがとうございます。
これから何度かに分け投稿致しますお話は半世紀も前のことであり、自分が経験した人間の縮図ともいえる生死の戦を見たまま書いていきたいと思います。
此処では「ダイヤモンド」ではなく「小豆」、赤いダイヤ」と呼ばれておりました。
以前当ブログで投稿した「昭和の東京穀物商品取引所(赤いダイヤ)」に加筆したものであります。
前回は「昭和の東京穀物商品取引所(赤いダイヤ)」自分が見た記憶に残る範囲で書きました。
しかし、今回は人の命とお金に対する執着心にも触れてみたいと思います。
昭和40年初期の「東京穀物商品取引所」を、覚えている方はどれだけいるのでしょうか?
今ではすっかりと忘れられ過去の壮絶な小豆の買い占、生死を賭けた人々の「喜怒哀楽」(赤いダイヤ)に賭けた男女の世界を目の前で見ることができたことは何にも代えがたい経験でありました。
北海道で生まれた私は、高校の授業が終わるといつも決まった時間の汽車通学、これと言って車窓からは何の楽しみもない「田園風景、雪景色」学校から自宅までは一時間少々。
当時、まだ高校2年と記憶しております。
TVドラマで「大番」なるドラマを見て、世の中すごい世界があるものと思い、このドラマは兜町証券取引所を舞台とし戦時中の満州における「満州鉄道(満鉄)」の株の買い占めを描いたものであり、原作は獅子文六主演加藤大介さんで映画化され後に主人公(赤羽丑之助)を渥美清さんが演じております。(こちら)
此処迄でしたなら普通の高校生として就職は東京と決めておりました。
1963年梶山李之原作「赤いダイヤ」TBSTVで、大辻司郎、野際陽子さん主演で放映され、1964年東映で藤田まことさん、三田佳子さんで放映されます。
当時のTVドラマの中では自分をドラマの一員のように引きつけ、内容は分からないまでも大番より世の中にはもっとすごい世界がある...一度も欠かさず見ておりました。
この番組は母がとても嫌がり(山師のようだと)それでも最終回まで見ることができました。
赤いダイヤとは北海道の小豆相場を描いたもので、帯広、十勝、旭川の気温が相場に影響を与えます。
小豆の収穫はその年の天候、気温により決まると言って良いほど、その間に早霜や気温の高低により小豆の相場は変動致します。
どうしてあのような、人の熱気が取引所に渦巻くのか何もかもが新鮮でした
後に知ったことではありますが、「赤いダイヤにはモデルがおられ」、その方は相場の神さまと言われた山崎種二さん。
相場を知らない方でも「山種美術館の創設者・山崎種二」さん、横山大観さんと親しく贋作もつかまされることもなく将来の絵画の相場も把握されていた方です。
売りの神さまと言われた方で、大阪堂島の米相場30歳位で売りの山種と名をはせ【「米相場、商品相場、株式相場」】全てに秀でた方で売りの神さまではなくそれは相場の神さまと言っても過言ではなく「1952年東京穀物商品取引所」初代理事を務めます。
赤いダイヤとは「小豆相場」を指し、黒いダイヤとは「石炭」を指し黄色いダイヤとは「数の子」を指しておりました。
全て後で知ったことですが「相場は魔物」、魔物に素人が太刀打ちできるわけがありません。
偶々(たまたま)儲かったのであり、それは素人のあなたの実力で儲かったのではありません。
儲かる要素が働いたからであります。
赤いダイヤに手を出す人は、営業の方から美味しい話を聞かされ頭の中はすでに儲かったことしかなく、損をするということに頭の働きが行っておりません。
全て自分の欲から出たことが、家族を苦しめ悲惨な状態にしてしまいます。
中には自殺された方も見ております。
相場を張ると決めた以上、最初に損をしても良い金額を決めてからすること。
このことを怠ると底なし沼に陥ることに、自分の意志を持つこと、万が一儲かったならそこで止めることが心の強い人です。
「しかし人の運命とは」
ドラマ(赤いダイヤ)を回を重ねるごとに心は動き東京に行きたい一点でした。
生きとして生けるもの全てが幸せでありますように!
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にしおかまさる
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