1868年の廃仏毀釈により失った仏像
第429回
いつもお読みただきましてありがとうございます。
お読みになり実践することでご神仏さまから「徳」をいただけるものと信じております。
此処、数日今迄のブログに目を通して見たのですが、仏像を書いてもあまり壊れた仏像には触れていないことに気が付きました。
頭だけ、腕だけ、胴体のみ、足のみ、これら土蔵の中から、土の中から、池の中から発見されたと言われるものを見てきました。
いくつもの壊れた仏像の一部が、今でも大切にお寺に保存されており、手を合わせる時にはもの悲しい気持ちになります。
今迄神仏習合であったものが、1868年3月神仏分離令となり多くの寺院では仏像を埋めたり、隠したりしたようです。
日光東照宮は神社に薬師堂があり薬師如来さまが祀られております。
廃仏毀釈から逃れた建物と言われております。
他の寺院も廃仏毀釈から逃れた仏像がたくさんあります。
今に思えばこのように残ったことはとても喜ばしいことであり、このように仏像を焼き払う通達が出て、破棄する人の中にも「自身の行為がおぞましく」思われた方も多かったと想像いたします。
中には「ごめんなさい」と目をつむり壊した方もおられるかと思うと。
今迄心を通わせていた仏像を突然破棄する命令が、想像ですが中には破棄出来なく苦しみ逃げ出した方もおられるでしょう。
鹿児島では、廃仏毀釈により僧侶の職を失い、僧侶が180度異なる仕事を命ぜられた方もおります。
岩手県に一部壊された石仏が今も堂々と県内を見渡し衆生を救っております。
岩手県には坂上田村麻呂征夷の記念に毘沙門天を祀った岩窟があります。
同氏は花巻市に清水寺を建立するなど多くの仏教物に長けた人でもあり、「毘沙門天様の生まれ変わり」とも言われております。
本来なら数多くの素晴らしい仏像や石仏等が残されていたと思ってもこればかりは今さら言っても後悔先に立たず。
まだ日本にはたくさの仏像が残っており未来のため修復されており、なぜ明治時代に廃仏毀釈が起きたかはここではよします。
大好きだった京都、高台寺に(こちら)鎮座される秀吉、寧々さんの木像が今尚多くの方に愛されていることはとても幸せなことです。
2009年に東京国立博物館において興福寺創建1300年記念を見に行き子供のように興奮いたしました。
はっきりとした記憶ではないのですがお釈迦さまの頭部が螺髪もとれ飾られておりました。
やはりメインは阿修羅像です。(こちら)
自分の娘が帝釈天に取られたと言って細い体、細い手足で幾度となく戦いを仕掛け、何度も返り討ちに会いながら最後には追放の目にあい、お釈迦さまに悟られ優しい仏さまになります。
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