慚愧懺悔六根清浄・行うことで慈悲の心が芽生えております!
第406回
いつもお立ちより下さいましてありがとうございます。
お読み下さり(ご神仏様からいただく徳)を頂いてくださると嬉しく思います。
お読みになることで本日はご神仏さまから「徳」をいただけます。
最近「慚愧懺悔六根清浄」が読まれており(こちら)、なぜ懺悔が必要かを書いて行きます。
自分で気がつかないうちに過ち等は誰もが造っております。
小さい過ちも大きくなると塊となりなかなか消えることも困難で、我流でありますがどなたにも出来ます。
大切なことは、「悪業は自分だけでなくみんな持っている、懺悔しない人もたくさんおり、自分は懺悔する心があると思うことで」少し楽になれます。
散歩しながら、電車の中、心の中で懺悔することは立派な心がけです。
(いつも周りの景色に感謝)をし、天地に向って呼吸をする。(森羅万象にも)
形でなく心から自分の罪を詫びて懺悔することです。
師も誰もおりませんが過ちは素直に反省をして、人はまた同じ過ちを繰り返すことも、しかしそれに怒ることなく何故そうしたかを一緒に考えてあげることです。
いつも思います「誰が私のような仏教を学んだことのない人間」の話は聞きたいと思いますか?
しかし学んだことがないからこそ違った角度からの見方が出来ると信じてます。
最初、干支で購入したのが阿弥如来立像40年以上になり今では我が家のご仏壇のご本尊様です。
自分は小さい過ちと思っても時には大きな過ちもあり、普段から「心の仏の垢や誇りをとり除く」ことで正しい物の見方が出来一層魂は磨かれ光輝きます。
魂は磨くほど光輝き、懺悔することで過去を許すことが出来懺悔することで御仏様の慈悲でお許しくださいます。
心から懺悔を繰り返し心底お詫びをすることで仏様の慈悲で許しを願ってください必ず通じます。
自分の咎は天に詫び自分の心に詫び、悪業の数々は地に恥じ入り他者に恥じます。
(大切なことは、自分の咎は他者にその咎が行くことなく全て自分の咎であるることを認識する)
懺悔は毎日繰り返し繰り返し行うことで自分の心が最後には癒され知らず知らず涙が出てきます。
師も持たず、全て独学(商業課卒の私には文才もなく読みずらい箇所もあると思いますそこはお許しください)。
自分の師は(阿弥陀如来)様なのかも、師を持つことは大変で、仕事がある自分には無理があり自由に学んで行きたい。
真如という言葉で「真如とはありのままに生きる」ということですがありのままとは難しく、何とかありのままに生きて行きたいと思う。
今迄(仏教、神道)を知ることが出来たのは自分があまりにも汚れていたからでしょう。
最近一番の喜びは「自分の心の中の仏」を知ったこと。
見返りは一切求めない、人の幸せを念じ、人の嫌がることはしない、いつもありがとうと言える人間になる。
むずかしく考えることなく、自分の過去を反省(懺悔)をして毎日楽しく過ごす。
「これこそ仏の真の教えではないでしょうか?いつまでも過ちを引きずることなく、自分のため人のために念じこれこそが仏の教えかと思います」。
お読みくださった全ての方に幸せが訪れますように!ありがとうございます。
生きとして生けるもの全てが幸せでありますように!
ジュエリーニシオカ
にしおかまさる
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