慚愧・懺悔六根清浄【自分の人生何一つ無駄なものはありません】
第434回
いつもお読みただきましてありがとうございます。
お読みになり実践することでご神仏さまから「徳」をいただけるものと信じております。
慚愧・懴悔「六根清浄」毎日多くの方にご覧いただき心から感謝申し上げます。(こちら)
六根清浄教の祝詞を教えられても意味が分からなければ何もなりません。。
先ずは人は【神の分霊(心)であることを知る事です】(こちら)
私たち人間は、天の神から「分け御霊」をいただき、地の神から「肉体」をいただきます。
このように分け御霊とは天・地の神からいただき全ての人に神が宿っているのです。
分け御霊を授けるのは【父】、肉体を授けるのは【母】。
人間は天・地の神さまから授かったということであります。
自分が幸せになろうと思うなら両親、祖父母を大切にして下さい。
亡くなられても思いは必ず届きます。
天地の神さまから命を授けられた私たちは、神と同じように常に清浄な心を保ち、慈悲の心を持つこれが神様に愛される人間の秘訣なのです。
子を持つ親ならお分かりかと、我が子は可愛いものです、何かあったなら救ってあげたいと思うのが親の心、苦しみもがいているなら救おうとするのが神様です。
いつも清流の滝のような清らかな「心」(こちら)を保つことが寛容かと思います。
そんなことできるかとお思いでしょうが、これこそ私たち一人一人の「心」なのです。
人は善いこと、悪しきこと、すべてを決めるのは【自分の心】です。
人間は神の子であり、心の悪癖や、言葉、行い、等に気をつけることで少しずつ本来の神の姿に近くなります。
ただ、六根清浄を奏上しも願いが叶うわけでもなく、六根の祓いのお言葉のように「我が心に不浄なものを入れない」ことです。
六根清浄を奏上するに当たり、心の穢れを改め、清浄にすることを心がけ【天・地の神と一体】となり一心に願うことで成就致します。
此処で大切なことは、六根清浄を奏上することで、神さまに向き合い願い事を叶えて下さるのは神様であるということを決して忘れないでください。
すべて六根清浄唱えたから願いが成就と言うわけではありません。
例えば自宅で、神さまの御前に正座をし、願い事一つにしても礼をもって礼に終わるという言葉があります。
いきなり柏手を打つことなく、
いきなりお願い事をすることなく
祝詞を奏上することなく、
これは一つの例であります。
先ずは自分の今の心がしっかりと神様に向いているか、
どこを向いているか、
心が安寧であるか、
全てが穏やかと思ったなら、
二礼二拍手一礼をもって住所名前は必ず家であっても申し上げます。
「柔和な心には御神仏さまが宿ると言います」。
神社では柏手いらないという説もありますが、このことは「参拝者の心」が大切かと思います。
「何度、六根清浄を奏上しても家庭内が落ち着かない(不和の状態)心であるなら願いは成就されません」。
すべては【縁起「因果応報」』『原因があり結果がある』】から成り立っていることを六根清浄は示されております。
六根清浄祓いには
心神を(わがたましい)傷(いた)ましむことなかれ、(こちら)と有ります。
因果応報の「原因・結果」、すぐに関係が出ることは少なく、その人個人の周期により現れるかと思います。
こちらをご理解いただけますとお分かりかと、「六根清浄祓いには(煩悩)」も示されております。(こちら)
六根清浄大祓いの祝詞の最後の方に、
天地の神と同根なり、天地の神と同根なるが故に万物の霊と同体なり、万物の霊と同体なるが故になすところの願いとして成就せずということなし、無常霊宝 神道加持。
この意味は、
天地の神と同根なれば、天地から生まれるすべての神々、全ての霊と同根になる。
すべての霊と同根なれば天地の神の「威徳(高い徳のこと)」が現れどのような願いも成就する。
【同根すなわち同じ根からと言うことにおきずき下さい】。
山、川、海、森、全てに神があるようにて、地にも神がおられます。
日本には八百万の神さまがおられると言い、極端な言い方を致しますと、散歩に出ると沢山の神様に出会う毎日です。
悪いことはしない、誰も見ていないと思ったことでも、「天知る、地知る、我知る」。
必ず天地の神さまは見ており、そもそも自分が知っております。
どのような神さまにも敬いを忘れず、今は、散歩の途中でに小さな芽を出した木々があると思います。
どんな草花にもひと声かけることが自らの魂を向上(こちら)させることになります。
以前、森羅万象についてお話したことがあります、森羅万象とはどなたにも分かりやすくお話するには、天と地の間に存在するすべての万物を森羅万象と覚えると分かりやすいと思います。
森羅万象、目に見えるすべての生きとして生けるものが神の子にして、『神の生命の分け御霊』、神がお分けくださった神の現れなのです。
小さな小さな自己を離れ、大宇宙に『満ち満ちる神こそが自分の本当の姿』と認識することで『神の分け御霊、われは神なり』と自覚された時こそ本当の力を発揮できます。
一歩外へ出ると周りは全てが森羅万象、八百万の神さまと出会えます。
「人間生きていく上で大切なことは、人間には必ず死が訪れます」
人の死は「神・仏のみぞ知る」と思うと、朝目覚め命あることに感謝、夜には一日生かされたことに感謝。
自分で生きている等とは大きな過ちで、常に生かされていることに早く気がつく事です。
必ず訪れる死という現実に少なくとも一度は直視しておくことはとても大切なことと思います。
すると小さな幸せに気がつきその事に感謝する事になります。
日頃から、生かされていること、お陰さまに感謝することを忘れないように心がけましょう。
浄土真宗に教えられております一文に
私の人生、何一つ無駄なものはありません。
この世には、何ひとつ無駄なものはありません。
いまは、丁重に歩ます。
自分の人生何ひとつ無駄なものがない、この言葉、よくお考え下さると人生が少しわかると思います。
「死生観」
1、人は必ず死ぬ。
2、人生は一度限りである。
3、人生はいつ終わるか分からない、死は「突然土足」でやってきます。
この死生勧を掴むことで人生そのものが変わって参ります。
自分で早く理解するか、それとも今は死については少し先に延ばそうとする人とでは、逆境に出会ったときには前者はすごい力を発揮致します。
『死生勧』自分に起きた不思議な体験を書いて見たいと思います。
慚愧懺悔たくさんの方にお読み頂き心から感謝申し上げます。
懺悔は必ず毎日繰り返し行うことが良いかと思います。
今、歎異抄を読んでおります。
なかなか興味深くひと月以上読んでおり、いまだ理解できないところも有り、近いうちにブログに上げたいと思います。
歎異抄「いきなり極楽浄土の世界へ」
とても興味のある歎異抄です。
私は、何度も申し上げておりますが宗教に一切関係なく、本職は只の買取屋です。
人より「金、プラチナ、ダイヤモンド」に長く携わっている普通の人間です。
たとえ、お一人の方でも当ブログを読み、生まれた時より魂を汚すことなく、磨かれることを願い書いております。
ブログを書くことで、自らの魂も磨かれるように一文字一文字を大切にキーボードに向かっております。
世界中の方に幸福がありますように。
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