慚愧・懺悔、「六根清浄大祓詞」を理解しさらに大きな変化へ-4 

Last Updated on 2021年10月8日

第417回

いつもお読みいただきましてありがとうございます。

お読みになり実践することでご神仏さまから「徳」をいただけます。

西村栄信さんが書かれた【生き方。死に方。】より途中割愛させていただいて投稿させていただいております。

中国のお話です。

仏という字だけは聞きたくないと、趙州(じょうしゅう)和尚は言う。

趙州和尚は当代稀に見る慈悲深い人である人が「和尚さんは死んだら何処へ行かれますか」と尋ねますと「真っ先に地獄に堕ちる」という。

またどうして和尚様が地獄へ、「それはあなたに会えるからだ」と言われ、それを聞いた人は、さすが立派な和尚様、地獄に堕ちた人をすくおうとする。

生は偶然、死は必然という。「人の生を享けるは(天から授かる)難し、死すべきものの、今命あるは有り難し」

人間として生まれてくることは「爪の上の砂」ほどの確率しかないのだと仏陀は教えている。

それほどに稀少な命を自分は一体どの様に過ごしたかと忸怩(じくじ)たる思いに襲われるのは私ばかりではないであろう。

(忸怩)とは自分の行動を恥じる思い、慚愧に堪えない。

誰しも人知れずはかり知れない悪業も重ねて一生を過ごすであろう。

それらをどう償えばよいか。

この期に及んで償いの余裕は有るのか。

いや、そのような時間はもうない。地獄の(獄卒)たちが門前に迎えに来ている。

「(獄卒)地獄で亡者を痛める鬼とも言われている」

こうして皆早かれ遅かれ、大晦日のあの忙しさにも似て追い立てられ死出の旅路に着くことであろう。

年末の大掃除のようにもっと早くから準備を始めておかなければならないのだ。


此処からは自分なりに書いて見ます。

自らの悪業を顧みて、歳はいくつであろうと道元いわく「生きている間は生であり死ねば死」

生きている間に心から反省をして自分の幸せと他者の幸せを念じることも立派な慚愧懺悔六根清浄です。

悪業の数々を反省することに善悪はありません。

人間生きている間善いこともすれば、悪いこともする。

善行ばかり積む人などはおおよそこの世の中にはおられないと思います。

仏陀曰く、自分の生死についての悩み苦しみは人間の根本的な苦悩とおっしゃっておられます。

最近神道、仏道、共に教えの先は同じではないかと思うようになります。

神も、仏も決して人を裏切る事はありません。

むしろ裏切るのは人の心です。朝夕手を合わせることが出来なければ、布団の中で手を合わせてもいいと思います。

感謝を忘れないことです。

「人は神の子、神の子であるなら神の子」らしくこれから生きて行けばよいだけのこと。

神さま、仏さま、ご先祖さまを敬い、日々神様からは新たなる全徳の無限の無限の輝きを一杯いただきましょう。

日々徳を頂き自分の運をきり開いて行くことが何よりも喜んでくださいます。(こちら)

最後に、無常霊宝神道加持とは

神道一切のはじめには「無常霊宝神道加持」と言い、はじめとは「大宇宙の始まり」無情とは天照皇大神さまがおられます「高天原」

「宝」とは龍神祝詞にもあります「十種の御宝」(とくさのみたから)天孫降臨の際、ニギニギノミコトが天照大御神から授かった天上界のお宝。

この六根清浄大祓詞は祝詞でも特別な意味を持つ大祓詞の祝詞と言われております。

生きとして生けるもの全てが幸せでありますように!

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