いつまでも、心に残る道元さんのお言葉!

Last Updated on 2022年4月29日

第419回

いつもお読みいただきましてありがとうございます。

お読みになり実践することでご神仏さまから「徳」をいただくことが出来ます。

 

永平寺TV番組で

自己をみつめ、自我を捨て無我になる。

あらゆるしがらみやこだわりが抜け落ち身心脱落が出来ると。

 

道元さんのお言葉でとても好きな言葉で

 

仏道をならうというは   自己をならうなり

仏教を学ぶということは  自分を学ぶことである    

自己をならうというは   自己をわするるなり

自分を学ぶとは      自分を忘れることである

自己をわするるというは  万法に証さるるなり

自分を忘れることは    森羅万象から学ぶこと

万法に証さるるというは

全てが謙虚になり、一心不乱にやることで、宇宙の真理を体で感じ取ることができる

自己の身心および他己の身心をして

自己に閉じ込められ、自己にこだわっている間は世界の心理は見えず

脱落せしむなり(こちら)

自己が自由自在に動くときには、全てがいきいきと活動する。

 

最近、「自己(自分)」とはもう少し堀下げてみました。

臨済宗「円覚寺」大森曹玄老師の講話の中に、

 

【真の自己とは】

我々は時間的に無限の先祖とつながり、親から祖父母さらに遡ると宇宙の生成力につながる大いなる命であると。

 

「時間的に無限の時間、空間的に無辺の存在、この時間制と空間性の交差する中心に私がある」という、これが【真の自己】であると。

 

これが「真の自己」であると、ここの解釈は自分の存在は現実であり、その他のものは全てが無なのでしょうか?

 

それに対して「その時間、空間をきり取って抽象したものが自我であると」言っておられます。

 

神我=自我=無我

大いなる命に目を向けず自分の体格、数十年の経験だけが自己の全てと思い込んでいるのです。

また、一切の空間、無限の命と連なって自分というものは初めて存在できると。

 

天地無限の命を今、私たちは生きているといっておられ、

 

生かされた立場から生きる立場に転換して、大きな生命により生かされている私がその大きな命に報いるために自ら生きる。

それが人生というものである」。

 

禅の教えを学びたく、本を読みしかし今だ理解できないことが多く正直いつも仏教はなぜこんなに難しく書いているのだろうかと思い、もっと現代流に訳された本がたくさん有っても良いかと思い、

 

当ブログでは自分なりに現代風に書いたものを投稿して、きっと専門家の方はもっとよく勉強をして下さいと。

 

大森曹玄老師さんの、自己の教え今迄と違った自己を学ぶことができこの講話に出会えたことを心から感謝致します。

 

生きとして生けるもの全てが幸せでありますように!

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