昭和の東京穀物商品取引所(赤いダイヤ)-2

Last Updated on 2020年12月17日

第309回

いつもお読みいただきましてありがとうございます。

高校生の頃にはただ凄い世界、面白い男の世界があるのだと思いました。

当時、高校1年から3年夏まで小樽、叔父の海産物店で春、夏、冬休みの時には必ずバイトに出かけ、毎朝3時に起きAM3時30分に徒歩5分の海産物のお店に入ります。

なにがつらいと言っても12月、1月の小樽の大きな会社の冷凍庫に行き鮭を100本程持ち帰り、翌日早朝叔父さんと他の方と一緒に鮭を大きな盥(たらい)で1本、1本を洗いそのそばで叔父が鮭の切り身を作り100本は毎日完売。

お店は小樽中央市場であり当時は賑やかで、近くには小樽運河があり市場も今ではすっかり様子も変わりました。

鮭、たらこ、イクラ、鯨ベーコンかたまり、鰊、わかめ、昆布、海産物はほぼ揃っておりました。

 

午後は小売り業に切り替え夕方5時に閉店、よく叔父に卒業したら来ないかと、それを言ったら兄貴(私の父)に怒られるなと本当に来て欲しかったようで、卸のお客さんは毎日来られ、高校生なのでとても可愛がられ商いも楽しく良い経験を致しました。

 

赤いダイヤにモデルがおられ、その方は相場の神さまと言われ、相場を知らない方も山種美術館の創設者「山崎種二」さん、売りの神さまと言われた方で「東京穀物、東京ゴム、東京砂糖取引所」他にもたくさんの取引所の取引正会員でもありました。

 

山崎種二さんは1952年東京国物商品取引所の初代理事長であった方でもあり1966年山種美術館設立、横山大観さんと親しく贋作をつかまされることもなく将来の絵画の相場も把握されていたのですね。

大阪堂島の米相場30歳位で売りの山種と名をはせた方であり(米相場、商品相場、株式相場)全てに秀でた方で、売りの神さまではなく相場の神さまであります。

 

もちろん一度もお会いしたこともなくいつも耳にすることは売りの神さまと言う言葉があまりにも強く印象に残っております。

 

話は戻り「赤いダイヤ」とは小豆相場を指し「黒いダイヤ」とは石炭「黄色いダイヤ」とは数の子を指して呼んでおりました。

 

ドラマ「赤いダイヤ」回を重ねるごとに心はそちらに動き一度も欠かさず見ておりいつの間にか、高校を卒業して東京へと決めておりました。

一度母にTV放映が終わり、東京に行き赤いダイヤの会社に入りたいと言ったところ全く聞き入れてもらえずこれ以上話しても無駄と思い口にいたしませんでした。

 

茨城県に就職も決まり夜行列車で茨城に、その一年後正式に茨城から千葉県に配属されその2か月後休みを取り東京の友達を尋ねそこに3日間お世話になり東京に出るきっかけの職探しです。

2日目に新聞広告で面接に日本橋へ無事就職も決まったのは良いのですが何の仕事をしているか全くわからずただ東京の二文字が頭から離れず、とりあえず東京に出てきました。

 

世の中、偶然なんて言うことはないのです。

そのころは偶然と思っておりましたが、今思うと偶然なんかではなく何かの糸に操られ面接を受けた会社が商品取引の会社と知ったのは入社後でした。

 

次回も書かせていただきます。

最後までお読みいただきましてありがとうございました。

 

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